2017年07月25日

法王猊下のエコノミーA 科学が慈悲に手を携えるとき

科学的なセンスのある法王猊下

Kiley-Hamlin.jpg ブリティッシュ・コロンビア大学の心理学者、カイリー・ハムリン(Kiley Hamlin)准教授が、生後わずか3ヵ月の子どもでさえもやさしい人間を好むことを明らかにしたと述べた。

「このように幼い子どもですらも、すでに善を好み、人助けを目にすることで慈悲的であることを楽しんでいるのです」

 ハムリン准教授は法王にビデオを見せながら「猊下はきっと喜ばれるに違いない」と思ってこう述べた。けれども、法王の反応は違い、こう指摘された。

「いま、あなたはただ1人の子どもの事例だけを示されましたが、統計的にみて平均的な反応はどうなのでしょうか」

 ハムリン准教授が、このテストが世界中の様々な文化の何百人もの子どもたちを対象になされ、類似した結果が得られていると語ると、法王はようやく安心され(p72)、承認してうなずかれた。けれども、さらにこう問いかけられた。

「所得レベルは考慮されましたか」

 貧しい家族でも裕福な家族でも、同じ結果が子どもに見出されたことをハムリン准准教授は説明した。

 このように研究結果を徹底的に探究することから、ダライ・ラマ法王には科学的な思考傾向があることがわかる。ダニエル・コールマン博士もなんどもそれを目にしてきた。実際、研究結果を示した後で、科学者たちは法王からされる質問に驚かされることが多い。その分野で実施する必要性のある研究を的確に指摘されることも何度もある。

 このように、ダライ・ラマ法王は、科学から学べることに対して深い敬意を抱いている。ある会議では、科学者たちに向けてこう語られた。

「私はほぼ80歳です。ですが、学生としてあなたの脇に座っています。こうして私は若いと感じもしているのです」

 ハムリン准教授と対話した数日後に、法王は、ウォールストリート・ジャーナルのリポーターからのインタビューで、この研究について「慈悲には生物学的な根拠がある証拠だ」とコメントされた。

 リポーターが、「もし、ダライ・ラマにならなければ、科学哲学者になっていたのでしょうか」と尋ねると、ダライ・ラマ法王はこう答えられた。

「もし、ダライ・ラマとして認められなかったならば農民となっていたことでしょう」(p73)

少年時代からの科学好き

 Richard Davidson.jpgウィスコンシン大学マディソン校には、リチャード・デーヴィッドソン(Richard Davidson,1951年〜)教授が設立した「健やかな心研究所(CIHM=Center for Investigating Healthy Minds)」がある。この研究所のミッションのひとつは、慈悲心を育むための最短ルートを研究することだが、デヴィッドソン教授は、ダライ・ラマ法王から励まされ、研究所を設立した(p64)

 ダライ・ラマ法王は、デヴィッドソン教授の脳科学研究所を何度も訪れているが、1回目の訪問のときから、MRI、PETスキャンといったあらゆる装置に関心を寄せられた。とりわけ、法王が興味をいだかれたのは脳波の検出作業だった。

「自分は若い頃、こうした装置を手にすることを願っていたのです」

と少し物欲しそうに語られた。

 法王の科学好きは、ラサにおける少年時代にまでさかのぼる。法王は、少年の頃から腕時計等の機械をいじくることを好まれていた。壊れたヘッドライトやポタラ宮殿の発電機を修理したり、遠方の都市にむかう途中で故障した2台の車を修理されたこともある(p65)

科学は宗教よりも偏見がなく開かれ説得力がある

Daniel Goleman.jpg「宗教的指導者となられたあなたは、なぜかくも熱心に科学に興味をいだかれるのでしょうか」とダニエル・ゴールマン(Daniel Jay Goleman, 1946年〜)博士は、かつて訊ねてみたことがある。するとダライ・ラマ法王はこう語られた。

「スピリチュアリティと科学とは対立するものではなく、むしろ、リアリティを探求するためのオルタナティブな戦略だからです」(p65)

「慈悲の倫理の基礎について、いかなる宗教的な信仰以上に、科学は幅広く語れることができます」と法王は言われる(p66)

 ウォールストリート・ジャーナルのリポーターに対しては、道徳的な倫理観を持ち、心の中に内なる平和を見出し、問題に対して適切に対応することが必要であることを前提に、法王はこう指摘された(p66)


「『慈悲的であってください』と私が言ったとしても、人々はこう考えます。『彼はダライ・ラマだから、仏教徒だから、きっとそう言うのだろう』と。ですが、もし、科学的な証拠がそのメリットを示せれば、より説得力があります。人々はもっと注意を払ってくれます(p79)。もし、私が仏教からその方法論を提示すれば『まさに宗教だ』として人々は退けるでしょう。ですが、科学から語れば、その方法論は機能します。つまり、より開かれているのです」(p66)

 ダライ・ラマ法王が指摘されるとおり、今日では、科学的な主張の方が、いかなる宗教よりも説得力がある。法王は全世界を旅されては、よりよき未来への展望を広げられているが、慈悲の進化に関する科学的な発見がその支えとなっていることが多い(p79)

Livingston.jpg インドに亡命して以降、法王は絶えず科学者たちとの出会いを前向きに模索されてきた。うちの何人かの科学者は、法王のチューターとなった。例えば、その一人が、カリフォルニア大学サンディエゴ校の神経科学者、故ロバート・リヴィングストン(Robert Rivingston, 1918〜2002年)教授である。法王からのたっての願いで、教授は何度もダラムサラを訪れ、科学アドバイザーとチューターとして働いた。

Wolf Singer.JPG 西洋に旅する度に、イギリスの量子物理学者、デヴィッド・ボーム(David Bohm, 1917〜1992年)、ドイツの物理学者、カール・フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー(Carl Friedrich von Weizsacker, 1912〜2007年)、ドイツのマックスプランク研究所の脳科学者、ウォルフ・シンガー(Wolf Joachim Singer, 1943年〜)所長等、法王は著名な科学者たちとの出会いを重ねてきた。科学哲学者、カール・ポパー(Karl Popper, 1902〜1994年)は、科学的な仮説は明確に述べられなければならないとし、「変造しやすさ(falsifiability)」の原則をダライ・ラマに説明した。そして、心理学者、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の人間相互関係研究所ポール・エクマン(Paul Ekman,1934年〜)所長とも会合を重ねている。こうした「成熟した」の科学者たちは、宗教的な人たちよりも、よりオープンマインドで、よりバイアスがないことを受け、法王はこう語られる。

「科学は、信仰や国籍の違いには基づきません(p66)。私は、科学者たちの間に、本物の国際性を見出します」。

チベットの教育に科学を持ち込む

 法王は、この公平のこの態度にも科学の強さを見出す(p67)。ダライ・ラマ法王は、エモリー大学の客員名誉教授(visiting Presidential Distinguished Professor)でもあるのだが、エモリー大学と連携し、チベットの伝統的な寺院教育(monastic education)に現代科学を導入した。チベット語に翻訳した基礎科学の教科書を作成し、伝統的なカリキュラムに組み込んだが、それは、この数百年での宗教教育における最大の変化といえる(p68)

ブッダは古代インドの科学者である

 ある時、ダライ・ラマ法王は黄金の布に包まれた小さな仏像を示され、こう語られた。

「もちろん、信者たちは、ブッダを、目覚めた存在「buddha」と見なしています。ですが、同時に、ブッダは、カースト制度に対する抵抗として見ることもできます(p68)。ブッダは、自分の信者たちに対して、盲目的な信仰や献身によって自分の教えを受け入れてはならない。むしろ、自分自身の探求や実験を通じて教えを受け入れよ。その方が単なる想像力や信仰よりも強力なのだから、と語られました。これは、非常に科学的な思考法です。ですから、ブッダは、古代インドの科学者、教師、哲学者、社会理論家として考えることも可能なのです」(p69)

ヴァレラとの出会いで始まった心と生命の会議

 チベットには数千年もかけて体系的にマインドを探求し分析してきた伝統がある。これを受け、法王はそれを「内なる科学」と考えていた。このため、法王と科学者たちとの対話が始まった段階では、それを記述するために「仏教と近代科学との対話」というフレーズが用いられていたが、「内なる科学と近代科学との対話」と表現される方が適切だと感じられていた(p69)

Francisco J. Varela.jpg けれども、著名な認知神経科学者、フランシスコ・ヴァレラが法王と科学者グループとの一週間もの集中対談の場を設定し、ビジネスマン、アダム・エングル(Adam Engle,1942年〜)の協力を受け、「心と生命研究所(Mind and Life Institute)」が創設されると、双方とも互いを尊重するようになっていく。科学者と法王との対談はいまも続き、瞑想者の脳研究がテーマとした第28回は、京都で開催された。

 この連続した交流の強力な種子は、ダライ・ラマ法王とヴァレラがほぼ偶然に遭遇したことによって蒔かれた。

 ヴァレラは、エコール・ポリ・テクニックとパリ大学で教鞭を取り、国立科学研究センター(Centre National de la Recherche Scientifique)の研究グループを率いていたが(p69)、1983年に、オーストリアのアルプバッハで開催された会議で、偶然、昼食の席が一緒となり法王と出会う。二人は、哲学、生物学、認知科学の問題について語りあり、昼食の終わりに、法王はヴァレラにこう問いかけられた。

「あなたは、ダラムサラを訪れて、私に科学を教えることができるでしょうか」。

 ヴァレラは驚いたが、喜び、すぐに「イエス」と答えた。けれども、パリに戻った後、ヴァレラは熟考し、とうていそれが自分1人ではできないことを認める。かくして、ダライ・ラマと会うそれ以外の科学者もリクルートし、「第1回の心と生命の会議」、「認知科学と仏教の心についての展望」が開催されることになる。それ以来、話題は、量子物理学や宇宙論から破壊的な感情に至る幅広いとはいえ、ヴァレラはプレゼンターの一人となり続けることとなる。

 法王はヴァレラを愛されていたが、ヴァレラ博士は2001年に他界する。ヴァレラは、展望や認識論、いかにして我々が認知をできるのかに関する本質、哲学に対していつも情熱的だった。

 ヴァレラの妻、エイミー・コーエン(Amy Cohen)は、現在、「ヨーロッパ心と生命(Mind and Life Europe)」の代表だが、会議の始まりからダライ・ラマとのヴァレラの二人の間には本当のハートと心のつながり、長年にわたりふくらみ強くなり、愛情や相互認知でおおわれる本当の友好があった」とコールマンに語っている。この会議は、常に夫のヴァレラにとって「激しい喜び」であったと付け加える。

「ヴァレラはその場にいることを楽しんでいました。そこでは、科学、哲学、そして、人間愛が、ダンス、対話で一緒になっていました。それは彼らのものでした」(p70)

 法王との出会いによって、ヴァレラは、仏教哲学、認識論、倫理がいかに共鳴するかについての直観力を高め、探求し、科学的な思考を変えていく。こうした「直観力(intuitions)」のひとつが、「神経現象学(neurophenomenology)」と称される認知神経科学の先駆的運動につながった。そこでは、脳研究は、主観的な「第一人称(first person)」の経験データを重視すべきだと主張する。同時に、通常の神経科学で集めることができる唯一のデータ、「第三人称(third person)」のデータを活用できる。脳神経科学分野では、豊かな経験を脳内の単なる神経化学物質の活動へと還元しがちだが、このアプローチによってそれに対抗できるとヴァレラは考えていた。後に、研究戦略として、これは瞑想研究で重要なことが判明する(p71)

 人間の良心を育み、いかなる修行では良心を育めるように脳を形づくることができるのか。そのための洞察の源として、ダライ・ラマ法王はこのアプローチを評価する。さらに、得られた成果を研究所外の実生活の場にもたらす必要性も重視されている(p71)

科学の限界を知り古代の知恵との統合を推奨

 科学的な研究の方法論を評価する一方で、法王は、科学的な方法論を盲信もしていない。科学はある点においてはリアリティの一面を詳細に見出すことができるが、それはリアリティの全体象ではない。それ以外の認知手法と同じく、科学にもその方法論や仮定によってリアリティを把握する上での制約があると見なす。

「どのようにすれば大きな幸せを創り出し、破壊的な感情を減らすことができるのでしょうか。もし、科学の側からそれに役立つ発見がなされれば、人々はより確信できます。そして、科学者そのものが問題ある感情を産み出すことから、それは科学者本人も助けるのです」

「現代心理学は、多くの知識、とりわけ、破壊的な感情に対処する方法論を発展させる必要があります」と法王は語られる。

 ダライ・ラマ法王からすれば、西洋人たちが「精神科学」とみなしているものは、「幼稚園」レベルにすぎない(p67)

 ダニエル・コールマン博士も法王の指摘に賛同し、荒れ狂う感情を静め、「平安(equanimity)」や慈悲といったポジティブな心の要素を磨くことになれば、現代心理学は、古代インドの心理学から学ぶ必要があると考える。というのは、コールマン博士も若い時に法王が言及される5世紀の経典を学んでおり、現代心理学が扱わない超越的な心理状態を除いても、感情やメンタルな状態について描写したその精度に驚かされていたからである。

 ダニエル・コールマン博士は、ポスドク以降、南アジアで、心のダイナミックをさらに詳細に記述した経典『アビダルマ(Abhidharma)』を学んだことがある(p67)。アビダルマでは、マインドの状態を50もあげ、どれが、心を幸せとする要素であり、どれがそれを邪魔する要素であるかを詳述している。そして、健全な心の状態がマインドを占めれば、不健全な心の状態は消え失せると考える。現代的に表現すれば、落ち着くことで動揺が静められ、執着しないことで貪欲さが克服され、しなやかさを認めることで、無気力(torpor)も消えていく。法王は、ポール・エクマン所長の感情地図のような科学の発見を古代の知恵を統合することで、より大きなマインドの地図を描くことを勧める。こうした古代の洞察を心理学に組み入れることで得られるメリットは大きいと指摘する(p68)

古代インドの心理学はポジティブな感情を扱う

judd-lewis.jpg ダライ・ラマ法王は1989年にノーベル賞を受賞したが、受賞式よりもマインドと脳について第2回の心と生命の対話、神経科学者との2日間の会談の方を優先された(p73)。対談の相手の一人は、著名な神経科学者、当時、精神保健研究所(National Institute of Mental Health)のルイスL.ジャッド(Lewis L. Judd, 1987〜1990年)所長であった。

 後に、ジャッド博士は、ダニエル・コールマン博士に「興味をそそられた」と語っている。というのも、精神衛生についての法王の見解には、智慧や慈悲の質といった、精神医学のチャート図からは外れたものが含まれていたからである。

「我々の精神衛生モデルは、ほとんどが精神病をベースに定められています。一方、チベットの心の地図には、我々の研究で価値があるものよりもポジティブなものがあるのです」

 チベットには「明解な夢見」という修行法がある。夢を見ながら、それが夢であることを意識し、その内容を意識的に変える方法である。

Allan-Hobson.jpg 神経科学者、ハーバード大学医学部の神経心理学研究所のJ・アラン・ホブソン(J. Allan Hobson,1933年〜)所長は「私たちの夢の研究は、数百年もの実験から恩恵を得るかもしれない」と語る。また、神経科学者、南カリフォルニア大学のアントニオ・ダマシオ(Antonio Damasio,1944年〜)教授も「チベットのいくつかの瞑想技術は、ボディ・センセーションを観察する能力を強化するかもしれない。これで人々を訓練できれば臨床用途があるかもしれない」と語る(p74)

慈悲の瞑想をすると贈与したくなる

 慈悲的な態度を磨くことによって、果たして人間はより利他的な存在になることができるのだろうか。ウィスコンシン大学マディソン校のリチャード・デーヴィッドソン教授は、慈悲心を強化するツールをゼロから開発するのではなく(p63)、チベット仏教とテーラワーダ仏教の手法を用いることによって、慈悲心が磨けるかどうかの研究をしている(p62)。ボランティアを2グループにわけ、自分たちが苦しんでいた時のことを思い出し、次に暖かく自分自身に対してこう願ってもらう。

「この苦しみから私が自由でありますように....。平和と喜びを経験できますように」

 次に、好きな誰かを頭に描き、同じ願いをかける。次にはそれを知人に対して行い、最終的には、この地球上の誰しもに対してそう願う。

 一方、対象群には、認知療法(cognitive reappraisal training)を学んでもらい、両グループともに、毎日30分のトレーニングをして2週後に利他心を測定する「再分配ゲーム」を実施した。すると驚くべきことに、ランダム化比較試験によって、慈悲の瞑想を実践した方が、認知訓練を学んだ対照群よりも、相手に対してかなり多くのマネーを贈与するようになるのである(p63)

利他的人間はポジティブな気分になれる

 火傷の犠牲者のように苦しむ人の写真を被験者に見てもらい、脳内の二つの神経系がどのように変化するのかを測定してみる。ひとつは、他者のパースペクティブ、この場合は、犠牲者の視点を取ることを助ける神経系、もうひとつは、ポジティブ感情と関連する神経回路である。驚くべきことだが、慈悲心をもって行動するとポジティブ感情が働いて気分がよくなるのである(p63)

 こうした研究が始まったのは、ダライ・ラマ法王が「破壊的な感情」をテーマに選ばれ、「第8回心と生命会議」で少人数の科学者たちと熱心な対話を交わした2000年にまでさかのぼる。法王は、デヴィッドソン教授に対して、こう語られた。

「チベットの伝統には、破壊的な感情を管理するための多くの方法があります。その効果は多くの歳月をかけてすでに確認されています。それを宗教的な文脈から外に出して、厳密に研究してほしいのです。そして、そこに恩恵が見出せれば、それを広めて欲しいのです」

 このミッションは、ウィスコンシン大学マディソン校のデヴィッドソン教授の研究室の中心課題となった。デヴィッドソン教授は、法王猊下が特別な親近感を寄せる科学者の一人である。

「猊下がよく知られ、賞賛される科学者の名をあげてくださいませんか」と頼んでみると、法王猊下はこう語られた。

「リッチーだ。私は愛してもいる」(p64)

子どもたちの慈悲心を育むことは可能だ

 前述したとおり、デヴィッドソン教授の「健やかな心研究所」は、慈悲心を育むための最短ルートを研究することだが、そのため、例えば、研究所の幼稚園では、親切心を育むカリキュラムをテストしている。園児たちは「誰をも傷つけず、誰をも助けます」と親切さの誓いを互いに復唱しあう。そして、自分の好きなぬいぐるみの動物をお腹に付けて、横になって呼吸で上下させながら心を落ち着けるトレーニングを行う。

 発達心理学では、子どもたちが最も利己的でエゴイスティックになるのは、4〜5歳であることが知られている。そこで、この親切さのプログラムを行った後、子どもたちの利他心をテストしてみた(p64)。子どもたちは何枚かのステッカーを受け取って、それを自分自身、親友、見知らぬ子ども、病気の子どもの封筒に割り振るように頼んでみた。すると、対照群の子どもたちは利己的だったが、親切心を育むカリキュラムを受けた子どもは違い、普通はエゴイスティックになるはずのトレンドが相殺されていた(p65)

グルーミングを受けたラットはストレスを感じにくい

 Michael Meaney.jpgこうした法王の意向に沿ったひとつの研究は、神経可塑性を扱った「心と生命の会議」で神経生物学者、モントリオールのマギル大学のマイケル・ミーニー(Michael J. Meaney, 1951年〜)教授の赤ちゃんラットへのリッキングやグルーミングがもたらすインパクトの研究である。グルーミングによって、ラットの脳からはリラックスできる化学物質が放出されるだけでなく、赤ちゃんが成長したときに、ストレスにさらされても静かでいられるように遺伝子も調整していたのである(p71)

 幼児が健全に育つうえでは肉体的なふれあいや人間的なつながりが役立つことは以前から発見されていたが、ダライ・ラマ法王からすれば、それは、改めてそれがいかに重要であるかを明らかにするものであった。そのうえ、ミーニィ教授は、貧しい家庭の子どもたちが虐待やネグレクトで苦しみ、ストレスを受けた動物と同じように、こうした子どもたちの脳の発育が環境からの悪影響を示していると指摘する。

 ラテンアメリカには孤児院でのケアを改善するプログラムがあるが、それをダライ・ラマはとりわけ賞賛する。例えば、家族と同類の何かを創造するため、巨大で人間味のない寄宿舎よりも、1人の介護者がいる小グループでのハウスの子どもたちには、幼児のために語りかけとともに、多くの身体とアイ・コンタクトがある。このシンプルな処置は生涯影響しうるとダライ・ラマ法王は指摘する(p73)

スタンフォード大学は慈悲の瞑想の世俗版を開発

 深呼吸をして息を肺に満たす。そのまま、2〜3秒保ってからゆっくりと吐く。こうした深呼吸を5〜10回していただきたい。意識を呼吸に集中するための一助となるのであれば、吸っているときに「内側へ」、吐いているときに「外側へ」とラべリングしてみてもいい。あるいは、息を吐いているときに身体から緊張感がほぐれていくことをイメージしてもいい。この深呼吸のエクササイズから、一日を始めることができる。また、必要性を感じれば、いつであれ、心を落ちつかせてくつろがせることができる。

 Thupten-JinpaS.jpgトゥプテン・ジンパ(Thupten Jinpa,1958年〜)博士は、法王の英語通訳だが、チベットの古典図書館長でもあり、その幅広い文化遺産の経典を翻訳している(p75)。この豊かな背景をバックに、ジンパは「慈悲の瞑想トレーニング(CCT=Compassion Cultivation Training)」を開発した。チベットの伝統的な手法を誰もが使えるように改良し(p76)、信仰面の部分を取り除き、よりシンプル化したのである(p75)。法王も推奨され、このプログラムは、スタンフォード大学の「慈悲と利他主義の研究教育センター(Center for Compassion and Altruism Research and Education)」の目玉のひとつとなっている。スタンフォードの研究者たちは、CCTには、幸せ感を高め、不安を減らす効果があると評価する。急性社会恐怖症(acute social phobia)の患者ですら不安や恐怖心を減らす助けになり、慢性的な痛みに苦しむ患者も9週後には、幸せ感が高まり痛みが減ったのである(p76)

慈悲の瞑想によって健康となり幸せ感が高まる

 ノースカロライナ大学の研究でも、慈悲的な態度を磨くことで、落ち込みが減ってポジティブな気分が高まり、人生における満足感も増え、家族や友人との関係が強化された。また、エモリー大学でも鬱病に苦しむ大学生を対象に実践し、慈悲的態度を促進することによって、落ち込みをある程度減らし、ストレスに対する身体反応も減ることを見出している。さらに、慈悲の態度を磨くことで、炎症やストレスホルモン濃度が低下するといった生理学的な効果も見出されている。リチャード・デヴィッドソン教授の研究からは、現代風にアレンジした古代の方法によって脳の構造や機能に有益な変化が引き起こされることが示されている(p76)。ダライ・ラマ法王はこうした発見について観衆に語り、こう提案する。

「1年後にもう一度テストをしてください。そして、家族に尋ねてみてください。人生で大切な人たちが、どのように変わったのかを」(p77)

共感と慈悲とは発動する脳神経が異なる

Jon Kabat Zinn.jpg マサチューセッツ大学医学校のジョン・カバット・ジン(Jon Kabat-Zinn, 1944年〜)名誉教授は、自分のボディ・センセーションをマインドフルネスで観察するというパイオニア的な仕事を患者に対して行ったが、今日、マインドフルネスは、医療クリニックからオフィス、教室まであらゆる所へと広がっているようにも思える。

 マインドフルネスは、数千年ものアジアの瞑想実践の一部なのだが、今、その伝統的な用途外で、何百もの研究で経験的にテストされている。この判断を避け、反応しないやり方で心を観察することの精神上でのメリットは、摂食障害、深刻な不安や落ち込みの軽減や注意欠陥障害(attention-deficit disorder)での集中力の強化にまで及ぶ(p74)

 医学生や看護学の学生たちは、自分たちの仕事での感情ストレスへのバッファーとして、マインドフルネスを学んでいる。また、未就学児童がマインドフルネスの基本を学べば、衝動の制御や学びへの準備を速める。その用途は多数のように思える。

 科学的な洞察のこうした実際的な応用をダライ・ラマは喜ぶ。ある会議や別の会議で科学者たちのグループに対して、ダライ・ラマがこう口にすることをダニエル・コールマン博士は何度も長年、耳にしてきた。

「これは、まあに空っぽの話ですか?あるいは、あなたは、何か意味ある行動をするために行っていますか?」(p75)

 Eve-Ekman.jpg例えば、火傷の犠牲者や深刻に思い悩む人々の鮮明な写真を目にして、他の誰かへの苦しみに共感・同調するとき、痛みや苦悶を感じる脳内回路が発火する。こうした共感反響によって感情的にも動揺する。それを科学的には「共感苦悩(empathy distress)」と呼ぶ。看護のような職業は、こうした慢性的な不安によって苦められることが多い。ポール・エクマン所長の娘、イブ・エクマン(Eve Ekman)博士によれば、それは、感情的な消耗、バーンアウトにまでつながることもある。エクマン博士は、病院の同僚たちが感情的に疲れ切り、退職までの歳月を待ち望んでいるとして(p77)、神経外科医のグループと連携し『感情バランスの育成プログラム(CEB=Cultivating Emotional Balance program)』を病院に導入している。

「患者たちをより苦しませずに、患者たちの恐れを示す共感にどのように対応したらよいのかを学びたいのです。彼らは手術はずっと簡単だと言います。患者と話す必要がないからです」

外科医たちが目標とするのは、感情のバランスを保ちながら、患者の感情にオープンであっても、それに圧倒されないようにすることである(p78)

20160726Alan WallaceS.jpg 『感情バランスの育成プログラム』を共同で開発したアラン・ウォレス(Bruce Alan Wallace, 1950年〜)博士が、最初にそれを学校の教師に対して教えたとき、教師の1人から不満を聞いたという。けれども、コースの終りには、その教師は態度を変えてこう述べたという。

「私はいまは違いが作り出せると思っています。私の仕事には意味があります。日を数えるかわりに、私はこうした子どもたちと一緒にいる日を楽しみにしているので、私は彼らを助けることができるのです」と言った。

『感情バランスの育成プログラム』は、親愛(loving-kindness)、慈悲、落ち着き、そして、共感の喜び、他の人の幸せに歓喜することを人々が磨くのを助ける(p78)

 Tanja-Singer.jpgドイツのマックス・プランク研究所の神経科学者、タニア・シンガー(Tania Singer, 1969年〜)教授は、ウォルフ・シンガーの娘だが、生物学者から僧侶へと転じたマチウ・リカールマチウ・リカール(Matthieu Ricard,1946年〜)博士とチームを組んで、慈悲の育み方を研究している。そして、他者がどのように感じるのかを読み取る「共感」とその苦しみを和らげたいと願う「慈悲」とには明確な違いがあり、まったく別の神経系が活性化していることを見出している(p77)

 苦しむ人の写真を目にすると、普通の人は防御的に目をそらしてしまう。けれども、シンガー教授らは、慈悲のプログラムを実践した後では、他者に対する暖かさや懸念を感じつつ、かつ、他者の苦しみに対してオープンにとどまれることを見出した。ポジティブな感情のための脳回路が活性化して、慈悲的な態度が示され、犠牲者の幸せを望んでいた。この発見から、慈悲が共感苦悩の予防接種として役立ち、バーンアウトにつながらず、レジリエンスを築くことに用いられることがわかる(p78)

「一部の人たちは、まさに同情は他の人にとって良いという印象を持ちます。ですが、必ずしもそれで利益が得られるわけではありません。それどころか、あまりにも慈悲を感じすぎることはあなたを弱めます」とダライ・ラマ法王は言う。

 Matthieu Ricard.jpg法王は、医療機関で働いていたが、バーンアウトして、その分野を去ったあるインドの女性のことについて語られ、そして、タニア・シンガー教授の研究は、本物の慈悲の態度を磨くことがバーンアウトの予防の一部でありえることを示していると付け加えられた(p78)

 なぜ、人々が世界の痛みに対して共感されることを望まれるのかと問われたとき、ダライ・ラマ法王は、誰しもがその痛みに直面し、それを軽減するための道義的な責任を持つからだと答えられた。

「もし、私たちが落胆して、あきらめてしまえば、それは、痛みが勝つことになるからです」とダライ・ラマ法王は語られた(p79)

【画像】
カイリー・ハムリン准教授の画像はこのサイトより
リチャード・デーヴィッドソン教授の画像はこのサイトより
ダニエル・ゴールマン博士の画像はこのサイトより
ロバート・リヴィングストン教授の画像はこのサイトより
ウォルフ・シンガー所長の画像はこのサイトから
ポール・エクマン所長の画像はこのサイトより
フランシスコ・ヴァレラ博士の画像はこのサイトより
ルイス・ジャッド博士の画像はこのサイトより
J・アラン・ホブソン所長の画像はこのサイトより
アントニオ・ダマシオ教授の画像はこのサイトより
マイケル・ミーニィ教授の画像はこのサイトより
トゥプテン・ジンパ博士の画像はこのサイトより
ジョン・ガバットジン名誉教授の画像はこのサイトより
イブ・エクマン博士の画像はこのサイトより
アラン・ウォレス博士の画像はこのサイトより
タニア・シンガー教授の画像はこのサイトより
マチウ・リカール博士の画像はこのサイトより

【引用文献】
Daniel Goleman, A Force for Good: The Dalai Lama's Vision for Our World, Bantam,2015.
posted by fidelcastro at 07:00| Comment(0) | ダライ・ラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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