つながりのための学習

「クレメンタインはこの近くでは育ちません。どうしてここにはあるのでしょう」(p150)。
子どもたちは、クレメンタインの旅についてブレーンストーミンングを始める。誰かが農場で育て、それを摘み、箱に入れて、ステッカーを張り、それをマーフィー先生が買った店まで送り込んだのである。彼女は地球儀で、クレメンタインがモロッコからきたことを子どもたちに教え、さらにこう問いかける。
「私たちの暮らしにクレメンタインがあるには何人がかかわっているのでしょうか」
育てる農民、収穫作業をする人、箱を製造する人、トラックの運転手、船や飛行機のパイロット、店員、そして、トラックの製造者、船舶の製造者、飛行機の製造者、店舗の建築者、さらにトラック、船舶、飛行機用のための燃料を確保する人たち。トラックや船舶用の鉄鋼を作る人たち。子どもたちがあげた推測は、20〜数百人に及んだ。
「そう。この12月にノーサンプトンでクレメンタインを手にするには多くの人たちが必要なんです」
マーフィー先生は、また別の大きい考えを子どもたちに考えさせる。
「紙の中には雲があります。紙用のパルプを製造するには水が必要だからです。つまり、世界のすべてはつながっているのです」。
7、8歳の子どもたちは、地球の自然生態系がどのようにグローバルなサプライチェーンと関係してくるのかをかいま見始める。
ひとり一人の子どもが一個のクレメンタインを持てるようにマーフィーさんはそれをパスしてまわしながら、クレメンタインを素材に、マインドフルなステップを指導していく。
「皮をむいて、その匂いをかいで、慎重にその部分のすべてを見て、その実がいかに美しいのかを見てください。クレメンタインにすべての注意を集中してみてください」
それから、マーフィー先生はさらにガイドしていく。
「このことを可能にした人たちのうち一人のことを考えてください。目を閉じて、その人を想い描いて、穏やかに『ありがとう』 と感謝の言葉を送ってください。それから、別の人を選び、感謝してください」
静かに1分、2分がすぎた後、マーフィー先生は尋ねる。
「さあ、皆さんが思い浮かべた人は誰ですか?。船の船長でしたか。木を育てた人でしたか。お店の人たちでしたか。飛行機用の金属を作った人たちでしたか...(p151)。そして、彼らが幸せでありますように。素敵な人生を送れますようにとの願望を持てましたか」
このエクササイズによって、小学校2年生のマインドは少なくとも3方向で広げられた。第一に、クレメンタインに注意を払うことで集中力が鍛えられた。第二に、クレメンタインを食べることが可能にしてくれた人たちが幸せであるようにと願い、感謝することで、ケアの輪が広げられた。第三に、モロッコから学校までクレメンタインを持ってきた人たちのつながりを認識することで「システム思考」がなされた(p152)。
互いに評価するための学び
スミス・カレッジ・キャンパス校のエミリー・エンドリス(Emily Endris)先生の5年生たちは、輪になって座っている。子どもたちは、相手をよく観察し、賞賛することを気づくトレーニングをしている。
エンドリス先生は、お互いの目を見るように命じる。「相手の話をよく聞いてさえぎらない」「いつも体育で頑張っている」「水飲み場にいくと、高いものをいつも使わせてくれるので嬉しくなりました」「よく微笑んで、いつも幸せそうです」
このように評価をしてもらった人は、してくれた人に感謝して、それを次の人に与えていく。多くの微笑といいフィーリングが産まれる(p186)。本当に相手に対して注意を払うとき、気がつかなかった人の別の面がわかってくる。
これらのエクササイズは、スミス・カレッジでいま進められている研究の一部である。マーフィー先生やエンドリス先生は、マインドフルネスと慈悲を強化するための小学生向けのカリキュラムを構築するイニシアティブ、『ケアへの呼びかけ(Call to Care)』の一部として、クレメンタインや相互評価エクササイズ(mutual-appreciation exercises)の学習を試みているのである(p187)。
ケアへの呼びかけの必要性
近年、ビジネスや医療現場のみならず、学校教育の場においても、マインドフルネスがトレンディとなっている。『ケアへの呼びかけ』は、関係性への気づきを広げ、これに気づかい(thoughtfulness)、思いやり(concern)、慈悲を加える。

「学校におけるマインドフルネスの多くは、個々の学生に対して内なるワークのツールを与えます。自分自身の心を落ちつけて関係性について考える一助となるのであれば、マインドフルネスは学校現場にも適しています。ですが、教室は忙しく、雑然としています。どのように、他者とからみあい、つながり、わかちあえばよいのでしょうか」。
カレッジ・キャンパス校が「ケアへの呼びかけ」のパイロットサイトとなったのは偶然だった。数マイルしか離れていない隣町に偶然『心といのちの研究所(Mind and Life Institute)』があったからだった(p187)。

ダライ・ラマ法王は、世界各地を旅する中で、自ら「ケアへの呼びかけ」プログラムをモニタリングされ、それに興味を抱く教育者たちをつなげたがっている(p188)。
現在の教育には慈悲が欠落している
南バンクーバーにあるジョン・オリバー高校(John Oliver High School)は、フィリピン、東南アジア、中国等からの移民労働者階級からなる地区にある。ジョン・オリバーの学生の多くは、移民の子弟で、一生懸命に勉強することで両親たちの成功の夢を実現するように努力している。けれども、高い学業成績そのものは完全な教育を表さないと、ダライ・ラマ法王は主張される(p178)。
ダライ・ラマ法王は、『ハードとマインド教育(Educating Hearts and Minds)』の個人的なセッションの間に、このジョン・オリバー高を訪れた。数百人の学生たちがこのイベントのために体育館に集まり、地域全域の3万3000人の他の学生のためにもライブで放送された。
ダライ・ラマ法王は若者たちにこう語りかけた。
「私は老人です。ほぼ80歳になります(p181)。私の人生はほとんど終わっています。ですが、皆さん方の人生はまさに始まっています。皆さんが、人類の幸せのために貢献をするかどうかにかかわらず、皆さんが幸せな人生を送るかどうかは皆さん方次第なのです。
私には、様々な人たち、指導者や尊敬された科学者、乞食やスピリチュアルな実践者と出会う機会があります。そして、幸せな人生が豊かさには依存せず、さらに、良い家族にさえも依存しないことを確信しています。
私は、いつも毎日、BBCを聞いています。私たちの世界には多くの痛ましい出来事があり、多くの問題や暴力があることをニュースは告げています。そして、こうした問題は人間が作り出したものなのです。けれども、こうした問題を引き起こしている人たちは頭が良いことが多いのです。それは、内なる平和や道徳的原則が今日の教育に欠落していることを示しています。そして、力でこれを変えることはできません。そして、宗教的な説法も、無信仰者は言うまでもなく、地球上の全数10億人に達することはできません。そして、唯一の方法は、誰しをも幸せにしたいという普遍的な善を目指す教育を通してなのです」。
千年前の西洋では、教育は教会が扱ってきた、とダライ・ラマ法王は述べる。けれども、教育への宗教の影響力が何世紀も弱まり、とりわけ、科学やテクノロジーが発達したため、ケアや責任についての教えも弱まり、現在の教育の基礎は、ほとんど唯物論的(materialistic)になっていると指摘する。
「このシステムで育つ人たちは、内なる価値の重要性を学ばず、むしろ、進歩、マネー、そして、物資的な価値がより重要だと思いがちです。ですから、いかにして、これにバランスを持たらすことができるかが大切なのです」(p182)
ダライ・ラマ法王はこう続ける。
「多くの学生たちは、お金持ちになることを狙ってビジネスや経済学を学んでいます。疲れも知らず、十分な睡眠も取らず、いつも忙しく、忙しく、忙しいのです。まさに自分自身に対しても慈悲がないのです。もし、ただあなたが利潤をあげたいだけであれば、大切なものがお金だけであれば、富める者と貧しき者との格差は広がります。そして、あまりにも多くの暴力があれば、そこには巨大な苦しみがあります。ですから、世界を助けることは、それを慈悲、あるいは、責任感との感覚と呼ぶか否かにかかわらず、それはあなた自身の利益なのです」(p183)。
「私たち誰しもにとっての未来は、いかにこうした問題を扱うかにかかっています。そこで、問いかけがあります。何をするべきか。その方法とは、教育です。ですが、もし、私たちの教育制度が、取り組むべき課題に注意を払わなければ、問題は増えていきます。そして、それは誰も望みません」(p183)
人間には自分の血縁関係者だけを愛する生物学的な素質を持つ。けれども、今日のようにそれぞれが相互連結した世界では、個々の血縁集団を越えて慈悲を広げる必要性がある。その慈悲を広げる道具として、ダライ・ラマ法王は教育に着目する(p183)。
子どもたちは善人として生まれてくる
ダライ・ラマ法王は、人間は親切な性質をもって産まれてくるとの信念がある(p183)。
「出生時から、乳児は母親と一緒にいる幸せを知っています。そして、あらゆる幼児は親の膝元で安心を感じます。子どもたちは、自分たちの感情の基本を直観的に知っているのです。例えば、幼い子どもたちに怒った先生の顔と微笑んだ顔を示して『どちらの顔が好きかい』と聞けば『微笑んでいる顔』と答えるのです(p189)。
「子どもたちが幼いときには、これは全く生きています」と、法王は言う。とはいえ、子どもたちのこの部分の性格は開発されないまま終わることもある。しかも、既存の教育制度では、その多くが強調されていない。それどころか、それとは逆の疑惑や怒りを産む影響にさらされる。
「私たちは子どもたちの中のポジティブな面のための教育を必要としています。さもなければ、それは休止したままです。私たちはこのポジティブな面を引き出す教育を必要としています」
けれども、近代の教育制度は健康なマインドの部分を無視している、そうダライ・ラマ法王は指摘する。法王の見解からすれば、近代教育は、モラル、倫理、そして、幸せの探求においては誰しもが平等というひとつの人間家族の感覚、法王が「人類の統一性(the oneness of humanity)」と呼ぶものを欠いている。
「見失われているのは、道徳的な原則です」。
ダライ・ラマ法王が、教育改革の切迫した必要を感じ、新たなアイデアや新たな思考に基づく運動、「近代教育の革命」を呼びかけているのはそのためなのである(p183)
科学に基づく慈悲の教育
けれども、ダライ・ラマ法王は、慈悲的価値観に対する盲信的な教育をしようとは主張しない。それよろいも、むしろ、他者に対する思いやりが心の平安や身体の健康といかに関連するのかを示す科学を重視する。そして、それによって、そうした価値を教育に戻すことができると主張される(p182)。
カナダのバンクーバーにあるウォルター・モベリー小学校(Walter Moberly Elementary School)の4、5年生を前にダライ・ラマ法王はこう語る(p177)。
「私たち基本的には、人類という大きな家族の一員で誰もが同じです。会ってみれば、誰もが同じ感情、同じ心や身体を手にしていることがわかります。そして、誰もが友情のように同じものを好むのです」(p177)
ダライ・ラマ法王を招待したジェニファー・エリクソン(Jennifer Erikson)先生は子どもたちに尋ねる。
「感謝することはなぜ役立つのでしょう」
一人の女の子が答える。
「十分にモノがなくても感謝すればふさぎ込まずにすむからです」
別の男の子はこう言う。
「化学物質、ドーパミンが放出されることで嬉しいと感じさせるからです」
ダライ・ラマ法王は、科学的な回答に満足され、「まったく正しい」と言われた。
さらに、女の子がこう付け加える。
「感謝は、別の人も幸せにします」
また、別の子どもがこう言う。
「感謝すると穏やかさを感じさせます」
「穏やかさ。そう。その通り。それはとても重要な感覚です。素晴らしい!」と、ダライ・ラマ法王は同意される。
エリクソン先生が説明する。
「この子どもたちは、他者がどのように感じるのかを理解することを学んでいるのです」(p178)
モベリー小の5年生、シムラン・デオル(Simran Deol)さんが、EEGを被って、目の前に示されるポイントに意識を集中する。ブリティッシュ・コロンビア大学の大学院生が機械を操作する。ポイントに意識が焦点していれば、スクリーンに投影された大きな線が上に動く。そして、気が散ると下がる。ダライ・ラマ法王は熱心にその様子を観察された。
二人の友人が彼女に近寄って話かけ、袖を引くと線は下がった(p179)。そこで、ダライ・ラマ法王はシムランさんを指導した。
「マインドを鍛えるときには、メンタルなレベルと感覚レベルとを区別することが役立ちます。あなたがポイントを見ているときには、それは感覚レベルで眼で意識しています。目の意識に頼れば、目の前のポイントはとても限られたものになります。けれども、メンタルなレベルでは、目の意識を無視することができます。集中する対象がマインドの中にあれば、たとえ周囲が騒がしくてもよく集中できます」
ダライ・ラマ法王は、『心眼(mind's eye)』をイメージするようアドバイスされた。そして、シムランさんは言われたメンタルなイメージに意識を集中するように目を閉じた。線は再びじりじりと上がった。友人がまた気を散らしたとすると再び傾いたが、集中を集中すると再びあがった。
ジョアン・マーティン(Joanne Martin)先生が、シムランさんのクラスメートに、脳の中で何が起きているのかを質問する。
「意識を集中したとき、多くのニューロンがつながっています」と一人の生徒が答えるとダライ・ラマ法王は喜ばれた。
ダライ・ラマ法王は、誰か怒りたくなるような人が現れたとき、友人から怒りたくなるようなことをされたとき、1点に焦点することを勧められた。
この集中の訓練は教育にとっても多くの意味を持つ。というのは、集中するときには、破壊衝動を抑えるのと同じ神経回路が作動し、それは学習の準備のための神経回路だからでもある。感情マップから示されるように、ネガティブ感情があると気が散るが、集中するほど、そうした感情はなくなっていく。
そこで一人の生徒が尋ねた。
「どうすれば、僕たちは毎日、意識を集中して、幸せになれるのでしょうか」
ダライ・ラマ法王は、飛行機を例にとって答えられる。
「空を飛ぶ大きな飛行機をイメージしてみましょう。飛行機が大気中にとどまっているのを助けているあらゆる役割を理解することはとても難しいことです。それはマインドや感情でも同じです(p180)。わずかな感情が私たちの心をかき乱します。別のものは、例えば、心が静まるのを助けとても役立ちます」
そして、カリフォルニア大学サンフランシスコ校の人間相互関係研究所ポール・エクマン(Paul Ekman,1934年〜)所長が描くことを奨励する「感情マップ」の使い方を示唆された。
「長期にわたって心の平安を開発するためには、『感情マップ』についての多くの知識が必要です。善悪を考慮することなくただ気づいている。それから、毎日の経験にそれを適用してください。このことについて認識していれば、日々の経験でも、いつ苛立っていて幸せではないのかに気づくことができます。自分を分析できます」
ダライ・ラマ法王は、苛立ちが、恐れ、怒り、疑念と同じ感情の家族の一員であり、これとは逆の穏やかなマインドのグループには、自信、慈悲と愛情があると指摘され、「こうしたポジティブな状態は、心の平安がもたらされる」と語られた。
「恐れや怒り。かき乱された心は有害です。血圧は上がり、ストレスを感じ、眠れなくなり、怖い夢を見ます。ですが、それに対抗するためにはどうすればよいのですか。ドラック、アルコールですか。外的な手段ではありません。心の平安を開発するには時間がかかります。この感情シフトは一晩では起こりません。ですから、いくらかのトレーニングを必要とするのです」(p181)
いま幼稚園児である子どもが将来、偉大な学者や科学者になる望みを描いている両親がいるとしよう。けれども、両親にも、それには段階を踏んだ長期間の教育が必要なことがわかっている。それはハードを育てることでも同じだとダライ・ラマ法王は言われる。
「子どものマインドもステップ・バイ・ステップで長年にわたって同様に発展し、徐々に慈悲的な態度を養うのです」(p189)
幼稚園児から教えられる社会的・感情的学習

社会感情学習には様々な形があり、全世界では100以上ものカリキュラムがあるが、端的に言えば、感情面での精神衛生と慈悲、共感や協力を高めるスキルである(p184)。
その後、バンクーバーを訪れた際、社会感情学習が普及していることを耳にされて、ダライ・ラマ法王は喜ばれた。ただ、教員たちがその指導方法でのトレーニングを受けていないことに驚かれた。そこで、現在、ブリティッシュ・コロンビア大学では、教員教育にSELのトレーニングが含まれるだけでなく、初めての修士コースも設けられている。
ジョン・オリバー高校で、ダライ・ラマ法王は、SELについてこう言われた。
「このワークについて懐疑を抱かれるかもしれません。ですが、1校、10校、そして100校とまさに結果がでています。日々、この種の教育では、日々、愛情と責任感を教えることができます。それは、あなた自身の幸せにも、あなたの家族の幸せにもとても重要です。そして、家族がより慈悲的になれば、社会もより慈悲的になります。これは人類の生存のためになります」
ダライ・ラマ法王は、ブリティッシュ・コロンビア州で1600校と50万人の子どもたちがこれを受けることを希望しているとビクター・チャン氏は言う(p185)。
SELや「ケアへの呼びかけ」は、科学的にもきちんと評価される必要がある。パイロット校では、学校や同級生とのつながり感が喧嘩やいじめ、出席率といった基準上で効果が評価されている(p188)。

SELのプログラムは、いま何百万人もの子どもたちが世界中で経験しているが、このプログラムを受けた生徒と受けなかった生徒を比較した27万人以上のメタアナリシスから、このプログラムによって出席率があがり、授業中の履修態度も10%も高まり、いじめや暴力等問題が減ることがわかっている。さらに、学校の成績も11%あがる。つまり、心がクリアになることで、良く学べるようにもなるのである(p186)。
SELのカリキュラムは、理解、共感や感情の微妙なニュアンスがわかる大学生の年齢になれば最も完璧に適したものとなるが(p190)、幼稚園からも生徒たちのカリキュラムの一部とすることができ(p189)、SELのレッスンは一般に子どもたちの人生にすぐに適用できる(p190)。
ダライ・ラマ法王は、事例をあげられる。意見の相違や対立があれば、子どもたちは力を通じて戦う代わりに意味がある対話を通して問題を解決しなければならないことがわかる。そして、この反応は、ごく自然に思考の一部とならなければならない(p190)。
ダライ・ラマ法王の望みは、不健康な心の状態への反応が、手が汚れればそれを洗うのと同じほど自動的で自然なものとなり、数学と同じように、将来、このアプローチが教育の国際基準の一部になることである(p188)。
さらに、子どもたちは、こうしたやり方を家族に戻さなければならない。例えば、両親が喧嘩する姿を見れば、だめだよ。正しいやり方じゃないよ。喧嘩しないで話さなければ」というのである(p190)。
環境への慈悲があれば行動が変わる
現在、ほとんどの人たちは環境に対する懸念を重視していない。とはいえ、今後、エコロジー的な危機が深まり、子どもたちはこれまで以上にひどい状況下で暮らすことになれば、意識も行動への動機づけも高まる。
「ですから、さらに多くの教育が非常に大切なのです。環境に気を配り、その責任を負い、地球をケアできるように、子どもたちを教育する必要性があるのです。」と、ダライ・ラマ法王は言う。
「もはや手遅れかもしれません。ですが、私たちは、地球をケアすることが私たちの人生の自然な一部となる教育を必要としています」
ダライ・ラマは、環境に関する会議でこう言う。
「若者と老人との違いのひとつはフレキシビリティと心の広さだと私は考えます。私のような老人は考え方がより固定化されていますが、若者は新たなアイデアに注意を払います」
そして、こう付け加えた。「私は前世紀出身の人間です。そして、我々の世代が数多くの問題を生じさせました。今世紀の若者たちは、いま、地球の本当の人間性です。たとえ地球温暖化が進行するにせよ、彼らは兄弟姉妹のスピリットで協働でき、アイデアをわかちあい、解決策を見出すことができます。彼らは、我々の本当の望みなのです」(p152)。
地球温暖化問題から政治の腐敗、経済格差、紛争まで、長い目で見れば、正しい教育が問題解決の助けになるとダライ・ラマ法王は考える。そこで、ダライ・ラマ法王は、近代学校教育には抜本的な改革が必要だと考え、慈悲的な価値観を持って生きるための「ハート」の教育を呼びかける。ハートを教育すれば、慈悲やケアへの脳回路が強化され、この教育を受けた人々はまったく新たな経済行動をすることになる(p179)。慈悲の倫理をもって協力を教えれば、ただ口先で言うだけよりも、むしろこうした価値観に立脚して行動することが可能となるであろう(p189)。
ダライ・ラマが心に描かれる教育の目標は、まさに良いマインドだけではなく善人なのである。
もちろん、社会的感情的スキルの強調は、決して学力を軽じるわけではない。ダライ・ラマ法王は、学生たちの間での知的な競争を認める。けれども、「健康的な競争」は、自己への慈しみといった動機づけを意味し、他者が成功することを妬んだりはしない。
ダライ・ラマ法王はプリンストン大学でこう観衆に語った。
「既存の近代教育制度は唯物論的な価値観に適応しています。健康的な人生を送るために、私たちは内なる価値観についての教育を必要としています。もちろん、あなたの高い学歴は保ってください。ですが、もし、それに暖かいハートも含まれれば、それはより完璧なのです」(p190)
【画像】
ロベルタ・マーフィーさんの画像はこのサイトより
サムエル・イントレーター教授の画像はこのサイトより
アーサー・ザジョンク氏の画像はこのサイトより
ポール・エクマン所長の画像はこのサイトより
ビクター・チャン氏の画像はこのサイトより
キンバリー・スコナート-ライクル教授の画像はこのサイトより
【引用文献】
Daniel Goleman, A Force for Good: The Dalai Lama's Vision for Our World, Bantam,2015.