ハンセン病患者は尊厳ある仕事を必要としている

ババ氏自身が、消耗性漸進性脊髄退化(debilitating progressive spinal degeneration)に苦しみ、ほとんど寝たきりであった。しかし、この難病にもかかわらず、ババ氏は活発にリーダーシップを発揮した。コミュニティには、病院、学校、ワークショップがあり、以前の裸地をハンセン病他の障害のある人たちが緑の庭に変えていた。
ダライ・ラマ法王は、ババ氏のベッドの傍らに座り、その手を握られ、こう話したことを想起する。
「私の慈悲がまさに話だけであるのに対して、彼がしたことはすべてが輝いたと、私は彼に話しました。行為する慈悲の生きた事例、私たち誰しもへの激励である者がここにいると」
現在、アナンダワンは、2000人以上のハンセン病患者と100人以上の彼らの子どもたち、さらにまた別の数百人の盲目や聾唖の子どもたち、さらに、未婚の母から生まれた孤児をケアしている。
普通の社会基準からすれば、こうした人々は、アウトカーストやのけ者(pariahs)として扱われ、ストリートでのみすぼらしい物乞いに追いやられるのが常である。けれども、ババ氏は、自分が建設したコミュニティで彼らとともに生きた。ダライ・ラマ法王は言う。
「私がそこを訪れたとき、誰しもが平等で、自尊心と尊厳に満ちあふれていました。全員に仕事があり、整形が成り立ち、年老いて引退した後もケアされました。障害をもっていても活力に満ちていました。私は、本当に印象づけられたのです」
ババ氏は、ただ淡々とこう語る。
「慈善事業は破壊します、仕事は作り出します」
アナンドワンの居住者は、カーペット、学校のノート、再生紙からのグリーティングカード、ハンセン病患者用の金属のベット枠、松葉杖、特別な保護用のはきものまで、製品を製造して自分自身で支え合う。
ババ氏は2008年に他界したが、いずれも医者である2人の息子が、その仕事を運営している。最新のリポートによれば、アナンダワンと二つの姉妹コミュニティでは5000人以上が雇用されている(p122)。
「彼らのメンタルな態度は大きな違いを産み出します。仕事が彼らに自信や自尊心を与えています。ですから彼らは熱意に満ちています」と、ダライ・ラマ法王は語る(p123)。
チベット人や黒人は知的に劣っているのか?
ババ氏と同じように、ダライ・ラマ法王も困っている人たちの支援にあたり、人々が自力更生することを強調される。
「貧しい人たちは、自分では更正できないと感じます。ですが、それが、彼らが変わる必要があるポイント、困難さの根本原因なのです。彼らには、それ以外の誰とも同じ可能性があります。ですから、自分自身の能力を信じて、努力する必要があります。そして、同じ機会を与えられ、平等たりえるのです」
中国の共産党の当局が「チベット人の脳は劣っている」とのプロパガンダを広めたため、一部のチベット人たちは自分自身が駄目だと思うようになったことをダライ・ラマ法王は披露する。けれども、同じ学校教育やチャンスを手にすれば、チベット人も同様に行うことができ、結局、自分たちが劣っていなかったことを多くのチベット人たちが確信するようになったのである。
ダライ・ラマ法王は、南アフリカのソウェト(Soweto)のスラム街のことを例に引く。一人の男性から「アフリカ人の頭は劣っていて、白人のように知的ではありえない」と告げられたのである。ダライ・ラマ法王は、これにショックを受け悲しまれた。
「私は、まったく間違いだと主張しました。科学者に肌の色による脳の違いがあるのかどうかを問いかければ、彼らは、違うと言うでしょう。機会があればあなたは頑張らなければなりません。あらゆる点であなたは平等でありえるのです」
ダライ・ラマ法王はアフリカ人にも大きな可能性があり、長い植民地支配がアフリカ人たちに自信不足をつくったのであり、チベット人と同様に、社会的な平等、機会や教育によって、それは克服することができるとその男性が信じるように精力的に論じた。長い議論の後、その男性はため息をついて、低い声でこう言った。「いま、私は誰もが同じだと確信しています。自分たちが平等であると信じます」(p123)
「私は、相当な安心感を得ました」とダライ・ラマ法王は想起される。「少なくとも1人の人の考え方は変わったのです」(p124)
リーダーとしての女性

ダライ・ラマ法王は、銃撃で撃たれても回復したマララさんの強さにインスパイアされ、こう手紙で書かれた。
「あなたが続ける教育への基本的な権利を進めることは、ただ賞賛されるのみです」
ダライ・ラマ法王は、未来のためには、女性のリーダーシップが必要だと考えるが、マララさんは、その象徴と言える。なぜ、ダライ・ラマ法王は、女性によるリーダーシップが必要だと考えるのであろうか。ダニエル・コールマン博士が法王にそれを問いかけると、最初は脱線したように思える物語を語りはじめた。
ダライ・ラマ法王の目を治療したあるスイスの医師は、法王を自分の小さな山小屋に招待するまで親しくなった。その医師は、ダライ・ラマ法王に自分の銃や壁にかけた彼が撃った動物の頭の剥製のコレクションを見せた。法王は、笑ってこう話した。「肉屋だ!」。
この物語をした後、ダライ・ラマは法王は、問いかけに戻り、一般的に言って、狩猟は男性のスポーツ、男性が自分たちの家族のために食料を狩猟する必要があった太古の時代の残存物であると指摘された。
そして、法王はまだリーダーシップの概念が明確化していなかった時代とその時期が重なると推測する。一部の歴史家、とりわけ、マルクス主義者は、当初、人間には階級的な区別がなくて、小集団で生活し、なんであれ所有物を共有していた主張する。そして、農業の発見によって人口が増えたときに、私有地や私有財産の概念がもたらされ、それとともに、窃盗も現れ、強盗が増え、人々はこうした犯罪を防ぎ、正義を実施できる強力な統治者の必要性を感じた。当時のリーダーシップには身体的な力が必要であったし、それが指導者が男性であることを支持した。それは、「英雄たち」が情け容赦なく殺害を行うことを意味した時代でもあったと、法王は指摘する(p131)。
「けれども、時代は変わり、リアリティも変わります。そして、今はこれらを変える時です。ジェンダー、色で違いはありません。現代では平等なのです」
社会的な基準や文化的な遺産が女性を平等に扱ってこなかった。そこで、リーダーシップを取る女性の数も公正さとは異なる。そこで、ダライ・ラマ法王は、こう語る。
「教育は多くの平等をもたらしました。私たちは、女性に責任やリーダーシップのある地位にもっとつき始めてもらいたいのです」
現代は、人間のニーズに対してより敏感で、他者に対して思いやりのあるリーダーが必要とされているとし、暖かなハートを強調しつつ、女性の方が生物学的に男性よりも、苦しむ他者に対して同情できる傾向があるとダライ・ラマ法王は主張する。
ここで、科学が鍵となる発見を提供する。脳をスキャンすれば、苦しむ誰かを目にしたとき脳内の痛みのセンターの神経がどのように反応するのかが明らかになる。女性の方が男性よりも感情を読む力が大きく、他者の苦しみに対する感度、すなわち、慈悲は、男性よりも女性の方が強い。データからは女性の方が慈悲への備えが自然にできていることがわかる。そこで、ダライ・ラマ法王はこう語る。
「女性たちは他者の痛みにより敏感で、より共感的なのです。ですから、生物学的に女性には慈悲に向けてより多くの可能性があります。人々をケアする看護士他は、ほとんどの場合、女性です」。そして、少しお茶目にこう言う。「大多数の肉屋は男性です」。
これと同じ理由から、マッチョな政治指導者は、力をより誇示して危機を産みがちである。歴史から判断して、将来にはより多くのリーダーたちが将来女性となれば、暴力行為へのリスクがより少なくなろうと、ダライ・ラマ法王は推測される。
「多くの女性のリーダーたちが、慈悲のような人間の価値を推進するうえでより活発な役割を取るべきです」(p130)。もちろん、相手を思いやるリーダーシップは多くの男性にも見出せる。ダライ・ラマ自身がこうした特徴を体現しているではないか。とはいえ、一般には、慈悲は女性でより自然に発現される。なればこそ、より多くの女性たちがリーダーとなるためにも、マララさんが受けたような明白な抑圧からより巧妙な抑圧まで、全世界の社会での女性たちが置かれている不平等な処遇は廃止されなければならないとダライ・ラマ法王は主張されるのである(p131)。
ソーラーパネルの学校

地元の習慣として、カマラさんは早く結婚し、日々の仕事を終えてからでなければ夜間学校に通うことすらできなかった。そして、夫や家族の教育を受けることへの反対を押し切ることも必要だった。けれども、カマラさんがラッキーであったのは、夜間学校で、ソーラーのエンジニアのトレーニングのワークショップに参加することができたことであった。そして、そのワークショップがカマラさんの人生を変える。
女性がソーラー機材を組み立て、かつ、修理できるはずがない。男たちは馬鹿にしていた。けれども、数カ月のトレーニングを受けた後、カマラさんはそのテクニックに精通し、いまでは、同じような女性たちをトレーニングするため、地元で学校も開いているのである(p133)。

最も貧しい地方で女性たちの社会的経済的なステータスを高めることで、大学は、女性たちの伝統的な役割を見るやり方を変えるだけでなく、公衆衛生も改善している。子どもたちは、より食事や教育を受けている。
ロイ氏はインドの特権階級の出身である。1965年に大学を卒業した後、貧しい者を助けるとのマハトマ・ガンディの教えにインスパイアされ、飢饉で苦しむビハール州の農村でボランティアを行った。そして、ラージャスターン州のティロニア(Tilonia)村で井戸掘りのために5年働き、後にここに「裸の大学」を設立し、ソーラー・エンジニアのトレーニングを始める。ロイ氏はラージャスターン州の農村に40年以上も居住している。
裸足の大学のトレーニングはユニークである。学生たちは、典型的には無教育の女性たちである。けれども、卒業後にはソーラーの専門家として故郷に戻り、新たなステータス、尊敬を得られるようになるのである。
「私にとって、最高の投資は、祖母たちをトレーニングすることです。こうした40〜50才の女性たちは文盲です。ですが、彼女たちは最もスキルがあり、最も寛容で、多くの勇気があります」と、ロイ氏はダライ・ラマ法王に語る。
文盲のために授業は印刷された紙ではなく、ジェスチャーやデモンストレーションを通してなされる。 けれども、文盲の人向けに組まれているといってもその授業内容は専門的な技術知識を省いてはいない。生徒たちは、充電コントローラやインバーターといった機器の作り方を学び、どのようにソーラーパネルを設置して、それをどのように地元の送電線につなげるのかを学ぶ。ティンブクトゥ(Timbuktu)から陸路で2日、ボートで7日もかかるマリの村のように孤立した集落出身の女性さえもエンジニアとしてトレーニングできる(p134)。
国の発展はまず農村から
裸足の大学は何百人ものソーラー・エンジニアを養成している。アフリカの21カ国、アフガニスタン、そして、インドでは約600の村落を電化した。照明が得られれば、夜間に手仕事をすることも可能である。福収入を稼げ、これまで低い地位におかれてきた年上の女性たちが、貴重なスキルを手にした賃金労働者に生まれ変わる。子どもたちも、日中に牛やヤギの世話をした後、夜間学校に通えることを意味する。7000人以上の子どもたちが、裸足のカレッジが設立し、ソーラー電化された約150の夜間学校に通っている。裸の大学の農村の貧しい人々に対するそれ以外のサービスは、ヘルスワーカーたちが用いる指人形である。多くのインドの農村地域ではいまだにラジオやテレビがないが、そうした所でも、人形使いはメッセージを広げている。
チューリッヒで開催された「心と生命の会議」の「利他主義と慈悲の経済の会議(conference on altruism and compassion in economics)」で、ロイ氏はダライ・ラマ法王に「なぜ、あなたは妻を叩くべきではないのか。なぜ、きれいな飲料水が必要なのか。なぜ、子どもたちを学校に通わせなければならないのか、といった社会的なメッセージについて話した」こう語る。
ダライ・ラマ法王は彼の手を取られ、それから、ロイ氏にこう話された。
「インドの本当の変容は農村や村から始まらなければなりません。そして、あなたは本当にそうされました。これは、いかにして国を助けるかのやり方で、それ以外の世界、とりわけ、南側の世界への事例です」(p135)
インドに亡命する以前、ダライ・ラマ法王は、1955年に中国を訪問するとき、グローバルな貧困を緩和するための農村発展の重要性を最初に知った。この旅で、ダライ・ラマ法王は、当時の上海市長とあったのだが、市長は「上海そのものよりもむしろ農村を確立することに中国の経済発展の鍵があると感じると」語ったのである(p135)。
「それは、社会主義的な考え方ですが、農村地帯の大多数の困窮した貧しい人々を支援するために多くの資金を用いることは国を建設する際に非常に役に立つ方法です」
ダライ・ラマ法王は、台湾や日本の効率的に機械化された小規模な農場を見てそうした印象を受け、そこでは、農民は繁栄しているように見えると語る。
「インドや中国等の本当の国の変化は、2、3の大都市ではなく、農村地帯で起こらなければならないと、私は常に言っています」
そして、バンカー・ロイ氏に向けて、「インドのグルは、カール・マルクスからでなく!」とジェスチャーされた。法王は、インドのチベット人たちの居住区のためにソーラー・エンジニアリングを教えてくれるようバンカー・ロイ氏に依頼した。ロイ氏は、即座にこれを受け入れた(p136)。
【画像】
ババ・アムテ氏の画像はこのサイトより
マララ・ユスフザイさんの画像はこのサイトより
カルマ・デビさんの画像はこのサイトより
バンカー・ロイ氏の画像はこのサイトより
【引用文献】
Daniel Goleman, A Force for Good: The Dalai Lama's Vision for Our World, Bantam,2015.