ダライ・ラマ法王は透明性を慈悲から求める

アパルトヘイト側とそれに反対する抵抗者の双方の犯罪を完全にディスクローズすることは、ダライ・ラマ法王が賞賛する透明性のモデルにつながる。けれども、法王が透明性を求める背景にあるのは、意外なことに「慈悲」でなのである。ダライ・ラマ法王の慈悲は軟弱なものではない。米国の作家、アプトン・シンクレア(Upton Sinclair, 1878〜1968年)は、著作『ジャングル』において、シカゴの家畜屠場での移民労働者がおかれた過酷な労働環境や精肉業界の腐敗を暴いた。それが、1906年に純正食品・医薬品法を成立させることにつながった。法王が求めるディスクローズはこれに近い。
ダライ・ラマ法王は、公的生活のあらゆる範囲に道義的な責任を求め、倫理的な過ちが生じるときにはどこであれ「汚い政治、汚いビジネス、汚い宗教、汚い科学」があると指摘される。銀行、企業、政治家、そして、宗教家の悪行・不正を嫌悪され、こうした不正なシステムを改革するためのイニシアティブをとられているが、ダニケル・コールマン博士は「これは、ダライ・ラマのビジョンで最も予想しえなかった慈悲の他に類のない適用である」との感想をもらす。活動する慈悲を例証する三原則について、法王は語る。『公正さ(fairness)』、『透明性(transparency)』そして、『アカウンタビリティ』である。
これを欠けば腐敗や不正が続く(p84)。そして、透明性とアカウタビリティは相互依存する。透明性なくしてはアカウンタビリティはなく、アカウンタビリティなき透明性も効力がない(p85)。
本物の慈悲は人々を救うために悪を正す
ダライ・ラマ法王は自らを「簡素な僧侶(simple monk)」だと名乗る。全世界を旅する中でも、その暮らしはスパルタ的なもので、厳格なスケジュールにしたがって日々をすごされている。家は小さく、家具もろくにない小さな部屋で眠られる。また、インドの貧しい農民がはくサンダルを好まれ、着るTシャツもすり切れている。


「今日の世界では、多くの戦い、弱い者いじめ、不正行為があります。ですから、利他主義と慈悲がいっそう重要なのです。ですが、ただ慈悲的であるだけでは十分ではありえません。私たちは実践しなければなりません」」と、ダライ・ラマ法王は言う。
慈悲は、まさに人々を苦しみから救うのみならず、不正に対して反対し、人々の権利を守ることも意味すると、法王は言う。そうした慈悲は、非暴力的ではあるけれども、悪を正すものでありえるのである(p86)。
破壊的な感情を伴わない建設的な怒り
怒りは不平等な現状に対して抵抗するために立ち上がる助けになる。人々はまず怒りによって動く。そこで、ダライ・ラマ法王は、怒りは役立つと語り、ただ一方的に怒りを否定したりはしない。けれども、ダライ・ラマ法王は、怒りを種類によって区別し、不正に対して怒りをおぼえるとき、その怒りのポジティブな面を整理するよう促される。満ち溢れるエネルギーや決意。そのすべてが、不正に対して効果的な反応を産むからである(p86)。けれども、怒りに心が乗っ取られてしまえば、強迫観念に縛られ、エネルギーは動揺し、すべての自制心を失ってしまう。
「寛容さは、怒りや憎しみを持たないことを意味します。ですが、もし、別の人物が私たちに何か有害なことをして、それに対して私たちが何もしなければ、相手は有利となり、さらにネガティブな行為をするかもしれません。ですから、この状況を分析しなければなりません。そして、対抗策が必要であれば、怒ることなく、それをすることができます。そして、怒りに動機づけられなければ、その行為がもっと効果的となることを私たちは目にしています。私たちは、そのターゲットを直接攻撃できるのです」(p87)。
罪を憎んで人を憎まず
「穏やかな心を保ってください。状況を調査してください。そして、対抗策を講じてください。でなければ、それは続くし増えましょう。慈悲から適切な対抗策を講じて下さい」
そして、誰もが慈悲の対象となる。
「もし、あなたに能力があれば、あなたは不正を止めなければなりません。そして、たとえその人の行為が破壊的であるとしても、彼らの幸せを願う感覚を維持してください」
不正に対して力強く反対行動をしながらも、怒りを建設的な方向に導くひとつの鍵は、相手への基本的な慈悲を保つことにある。つまり、その人とその人がやる行為とを区別することがポイントなのである。
「行為には反対する。けれどもその人は愛し、そのやり方を変えるためにあらゆる努力をしてください」
反対行動をする際にダライ・ラマ法王はこう主張される。
「相手への慈悲をもってください。本当の許しの意味とは、人間に対しては怒りを向けず、かつ、彼らが行った行為を受け入れないことなのです」と法王は明確に説明する(p87)。
ダライ・ラマ法王とカリフォルニア大学サンフランシスコ校の人間相互関係研究所ポール・エクマン(Paul Ekman,1934年〜)所長は、怒りのような感情を管理する一助として、主体と行為を区別することに大きなポイントを見出す。まさにこの認識操作(cognitive maneuver)が重要なのである(p88)。
ダライ・ラマ法王は、怒りを含めて、破壊的な感情を減らすことが大切だと語る(p87)。例えば、被害を受ける商取引に巻き込まれれば、自分をそこに引き込んだ相手を嫌い、その相手のことを思い出す度に怒りが生じる。けれども、日々、瞑想を実践していれば、心が鎮まり、相手の行為と相手そのものを切り離せることに気づく。そして、誰かのネガティブな行為に対処する必要があるときには、破壊的な感情に突き動かされなければ、より効果的となりうるのである(p88)。
マハトマ・ガンディが師匠
ダライ・ラマ法王がマハトマ・ガンディのことを初めて耳にしたのは、まだ少年であったときだった。それ以来、ダライ・ラマ法王はずっとガンディの影響を受けてきた。法王はガンディと会うことはなかったが、「個人的な師匠だ」と呼ばれる。
ガンディの人生の多くの面は、人間のネガティブな面を抑え、ポジティブなポテンシャルを最高に引き出す個人的な努力から始まっている。また、別の面は、ダライ・ラマ法王の個人的なライフスタイルでもある簡素さに見られる。そして、三番目が、貧しき者や抑圧された者への関心である。そして、ガンディと同じく、ダライ・ラマ法王も、非暴力や慈悲を磨くよう日々実践されている。
「それは神聖なものだからではなく、実益があるからです」(p88)。
ガンディは透明性を求めていた
ダライ・ラマ法王は、透明性と誠実さをガンディが重視したことを評価する。
「ガンディの非暴力の実践は、まったく真実の力に依存していました」
そして、この力は、困難や障害に直面する時に現れる。
「あなたの態度は、正直で、誠実で、本物で、利他的なものでなければなりません。利他的であることで落胆する理由はありません。逆に、偽善的であったり、口にすることと別のことをしているならば、内なる存在が弱まり、挑戦に対峙する力を持てないかもしれません。完全に正直であれば、真実を話させます。そして、透明性は間違った動機への抑止力の働きをします。もちろん、よく見えるのは見せかけだけで、水面下では別のことが起きているかもしれません。ですから、表舞台だけでなく、その舞台裏まで嗅ぎ分ける「鼻」が必要とされているのです。メディアは、センセーショナルにあおらずに、本当に起きていることを公平に報告しなければなりません。少なくとも自由主義国においては、メディアには大切な役割があり、それが大きな違いを産み出すことができます。けれども、検閲がある国では問題は別で、しばらくは困難な状況にあります」
ダライ・ラマ法王は、アフリカやラテンアメリカを訪問し、貧しい人々の絶望や腐敗を目撃し、広がる貧富の格差を「全く不道徳だ!。腐敗はまるでガンのようです」と語る。
腐敗は、貧困を産み出し、それを保つ。例えば、貧しき人々を助けるための寄付金が、金持ちの懐に入ることで終わることはあまりにも多い(p89)。
近代教育が金の亡者のエゴイストを産み出している
ダライ・ラマ法王は、公的生活の至る所での腐敗に取り組むことを唱道される(p89)。腐敗の根の根本原因を法王は、他者の幸せに対する懸念がない極端なエゴイズムにあると見なす。そして法王の見解では、この問題は近代教育から始まる。近代教育は、道徳的な原則よりもむしろ私的な成功やマネーについて考えるよう条件づける。その仮定は「あなたには金と権力があればすべてがOKである」というものである。「実業家やリーダーはこのシステムの産物なのです。そして、彼らはこのように考えるのです」とダライ・ラマ法王は語る。
ダライ・ラマン法王は、インドでの20l0年のコモンウェルスゲームズ(Commonwealth Games)を腐敗の一例としてあげる。コモンウェルスゲームズはイギリス連邦に属する国や地域が参加して4年ごとに開催する総合競技大会だが、このゲームは国内メディアでも強烈に批判された。
問題は、マネーをポケットに入れる契約者から、危険な労働条件で働かされる貧しい人々から、児童労働に及び、多くの国民が貧困で暮らしている中で、なぜ、数10億をもスポーツイベントに費やさなければならないのかという疑問もあった。
「このようにたくさんのスキャンダルがインドには存在します。あまりにも無頓着で無関心です。ですから、必要とされていることは、厳しく誠実で、透明性のあるリーダーシップなのです。それによって、私は、インドが変わることができると思います」(p90)
ダニエル・コールマン博士はダライ・ラマ法王のこのコメントから、グローバルなイギリスの国際金融グループ、バークレイズ(Barclays PLC)が実施していた「ダーク・プール(dark pool)=私設取引システム」のことを想起した。ダークプールとは大口投資家が市場を介さずに秘密裏に行う取引のことだが、これを通じて銀行は最も利益をあげられる。コンピュータを駆使した超高速取引(HFT)はミリ秒単位で株式市場の取引を実施することができる。投資家の大口売買が市場でオープンにされれば、その情報はすぐに暴露される。ニューヨーク州のシュナイダーマン司法長官は、バークレイズが不当に利益をあげていたとしてこれを訴訟した(p90)。
2008年の金融危機以来、明るみにされた金融セクターのグレイゾーンの多くは非常に不透明である。銀行業務を専門とするある法学の教授は、ダーク・プールについてこう語る。
「ここでの教訓はとてもシンプルです。悪時は闇で起こるのです。銀行は顧客に嘘をついて、彼らを保護していなかったのです」
ダライ・ラマ法王は、2008年の金融危機は、まさに道義的な責任の不足やエスカレートする投機への欲望だけでなく、腐敗も明らかにしたとの見解を述べる。もちろん、金融業界文化の倫理的な欠陥を疑問視するのは法王だけではない。非倫理的で、非合法な事業に対して「ギャング資本主義」という言葉すら用いられている。とはいえ、天然資源の略奪であれ、政治家の汚職であれ、こうした悪行はただ闇の中でだけ実施できる。そこで、ダライ・ラマ法王はビジネスのグループに対してこうアドバイスをされる。
「透明にしてください。透明性は信頼をもたらします」(p95)
あたりまえの価値観に浸っていると見えない
数十年も認識されているにもかかわらず、いまだに世界の多くの場所では女性や少数民族には賃金格差がある。カースト制度の残渣のような差別が残されている。不平等は社会構造に組み入れられ、悪事が日常のルーチンに溶け込んでいるため、誰も感じないようになっている。
例えば、欠陥車であるために事故が起きて人が死んでいるとの内部リポートがありながら、自動車メーカーが「問題はない」と言って消費者を安心させることもよくあるシナリオである(p95)。そして、多くの死者が出た後に、会社は最終的に問題を認めるのである。

ニューヨーク市にある大学に通っていた中国出身の学生たちとダライ・ラマ法王が会ったとき、「腐敗に取り組む努力において、私たちは、習近平(Xí Jìnpíng, 1953年〜)主席を支持する必要があります」と語られた。
「全く大胆です、本当にワンダフルです。けれども、彼は大衆の支持を必要とします」
そして、1950年代の北京での毛沢東(Mao Tse-tung, 1893〜1976年)との会談を想起し「ブッダはカースト制度にまったく反対であったことから、毛沢東でさえも、ブッダのことを社会正義のための革命的戦いと記述したのです」と語る(p91)。

そのことを知り、コールマン博士はショックを受けた。白人の中流階級とエスニックのマイノリティとの居住区は区別され、学校も「カースト制度」のラインに沿って区別されていた。オグブ教授からそのことを指摘されると、コールマン博士はそれが正しいと思ったが、その時までは、その紛れもない事実は、視野外にあったのである。
社会的格差は、簡単に日常生活の中に溶け込んでしまう。口にされない文化的な基準や信条によって忘れさられている。
マイノリティや女性の権利が行動を通じて認められたように、偏見によって当然のこととされる社会的な不正は透明性によって「見える化」できる。逆に、不可視化されてしまうと、とりわけ、力ある者たちの無関心を産み出す。そして、こうした無関心が、目に見えないケアへの障害となることが研究からわかっている(p90)。
金持ちほど他人に対して冷酷

ケルトナー教授の研究によれば、相手の表情から相手の感情を読み取る能力でも、社会的地位が高い人ほど相手に注意を払わず、相手の会話をさえぎって自分が言いたいことを一方的に述べたりする。
これにはその人がおかれた事情もある。例えば、隣人に3才児の面倒を見てもらう代金を稼ぐため、二つの仕事を掛け持ちしているシングルマザーのように貧しい状況にある人は、常に人に頼る必要がある。そこで、いつか助けを求めることになる人たちとの人間関係を大切にしている。一方、裕福な人たちは、保育所のサービスであれ、家事手伝いのアルバイトであれ、必要なモノを簡単に金で解決できる。ケルトナー教授は、これが、金持ちほど他人の苦しみに無関心で、相手のニーズを無視できる理由のひとつだと示唆する(p91)。
カルマの信仰は慈悲を無為にする
ケルトナー教授の見解をコールマン博士がダライ・ラマ法王に告げると、法王はさらに掘り下げたコメントを加えられた。
「カースト制や「選ばれた人」の信仰のように、ある宗教の信者たちはより高い秩序によって人間の運命が決定されていると信じています。ですから、彼らは窮境に共感したり、援助の手を差し出す気がありません。
「神は、そのように、彼らをつくった」との考えによって、恵まれない人々への慈悲は抵当流れになってしまうのです」
宗教が冷酷さの言い訳になる。「それが、宗教が問題を増やしてしまうやり方なのです」とダライ・ラマ法王は述べた。「神の運命やカルマによるものだとして他者のニーズを退ける人たちは完全に間違っています」とダライ・ラマ法王は付け加えられる(p92)。
「『平等、平等、平等』と言葉では1000回も繰り返すことができます。ですが、実際には、他の力によって乗っ取られています」と、ダライ・ラマ法王は言われる。
共感(empathy)がほとんどなき所、ビジネス業界や政界で権力を手にした人々は、自分たちがどれほど無力な人々に影響を及ぼすかへの理解をまったく欠いた決定をしてしまう。富める者と貧しい者、あるいは、恵まれた者と恵まれなき者との格差は、偏見によって見えなくなり、あたりまえのこととして問題視されなくなってしまう。とりわけ、権力の恩恵を享受するエリート集団からすれば、弱い人々が力にアクセスできないのは自己責任であって当然のこととされてしまう(p93)。
弱き人々を心に想い描くことで共感力を育める
ジェンダー、階級、富等で、権力の中心から最もはずれた場所にいる人々をどのように扱うのか。そのやり方によって慈悲的な社会の特色は見出せる。
マハトマ・ガンディは、無力な人々に対するエリートたちの無関心に不快感を抱いていた。1948年の死後に見つかったひとつのメモは「あなたが目にした最も貧しく最も弱い人の顔を思い出し、あなたが考えることがその人に役立つかどうかを自分自身に問いかけてください」というものがある。
特定の人の顔を心に想い描くというガンディのアドバイスは、ケルトナー教授の発見から照らせば、とりわけ意味がある。困窮する人の姿をイメージすることは、無関心を退け、相手に感情移入するステップとなる。そして、もし、相手に共感さえできれば、何が必要とされているのかを感じることができ、それが行動につながるからである(p94)。
構造的な不平等は甘受せず抵抗することが必要である
ダライ・ラマ法王は、その行動の動機づけとしてマハドマ・ガンディ、ネルソン・マンデラ、チェコのバーツラフ・ハベル(Vaclav Havel, 1936〜2011年)大統領、そして、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King Jr., 1929〜1968年)といった人々を、慈悲があふれた活動家としてあげられる(p94)。行動主義と非暴力とを組合わせることによって、彼らは弱くはならず、むしろ、さらに大きな勇気や決心を持つことにつながったとダライ・ラマ法王は語る。
「非暴力は、ただ不公正を受け身で受け入れなければならないことを意味しません」と、ダライ・ラマ法王はニューデリーで聴衆に向けて語った。
「私たちは、権利のために戦わなければなりません。私たちは、不正には反対しなければなりません。なぜならば、そうしないことは暴力の形だあるからです。ガンディー師は非暴力を熱列に進めました。けれども、それは、ガンディが現状を満足してただ受け入れることを意味しませんでした。ガンディは抵抗しました。ですが、ガンディは暴力をふるうことなくそうしたのです」
真実を知ることが、自分たちの側に正義があることを知ることにつながり、穏やかで強くすると、ダライ・ラマ法王は付け加えられる。健全な議論が尽きる時に、人々は戦いや暴力へと向かう。そして、静けさと非暴力は力の徴候である(p95)。
法律は特権階級のためのもので平等を担保しない
公正さは、必ずしも法律に従うことを意味するわけではないと、ダライ・ラマ法王は指摘する。
腐敗した政府や全体主義政府は、自分たちが法的ルールに従っていると口にすることで、自分たちの不正を擁護する。すなわち、法律は、誰しものための公正さ、正義を支えない。現実に、法律は支配階級の狭い利益だけを支えるやり方で実施されている。法律が公正であるためには、誰しもの権利を保護する必要がある(p95)。
アカウンタビリティが果たされると人間は利他的でもありうる
この本の収益の一部をどこに送るべきかについて、ダライ・ラマ法王に対して、ダニエル・コールマン博士が問いかけると、寄付団体ダライ・ラマ・トラストの名がでてきた。である(p96)。このトラストは、赤十字を介したフィリピンの台風被害の救済から、エモリー大学におけるチベット僧向けの科学カリキュラムの開発まで、広範なニーズに向けその資金を配布している。
インドにおいては、イギリスと同じく「トラスト」という言葉は、慈善団体を示唆するが、米国においては「トラスト」は慈善団体ではなく、課税を逃れるため、私的目的で立ち上げられる資金を意味することをダライ・ラマ法王は理解されていなかった。そして、このことを耳にされると、ダライ・ラマ法王は、団体の目的をより明確化するため、その名称を『ダライ・ラマ慈善トラスト(Dalai Lama Charitable Trust)』へと変えることを提案された(p97)。

コモンズの悲劇は慈悲によって防がれている
カリフォルニア大学サンタバーバラ校のギャレット・ハーディン(Garret Hardin, 1915〜2003年)教授の「コモンズの悲劇」は、人間のわかちあう能力をさほど考慮していない。貪欲さと利己心が人々の動機づけであって、それは、フェアなわけまえ以上のものを人々が取ることにつながる、とハーディン教授は主張する。結果として、草地であれば、家畜が過放牧され、コモンズそのものが破壊される(p97)。
けれども、現実の歴史的な証拠を詳細に見てみれば、人々が協働し、個人的な貪欲さがもたらすダメージに対して歯止めをかけ、牧場だけでなく、森林、漁場、潅漑システムと資源をわかちあって管理してきたことが明らかになる(p98)。
自分自身だけなく、他者のことも気づかうことから、これは「慈悲」を表してもいる。
「誰しもが理解しなければならない最も大切なこととのひとつは、人間の幸せが相互依存しているということです。私たち自身の成功や幸せな未来は、他者のそれと大きく関連しています。ですから、他者を助けたり、他者の権利やニーズを考慮することは、まさに責任感の問題でなくて、自分自身の幸せがかかわることなのです」
こう語るダライ・ラマ法王のビジョンは、長期的な補完戦略を切り開く。私たち、あるいは、将来世代が、利己心を減らし、破壊的な感情の管理法を学び、慈悲を育めば、社会に変化がもたらされる。透明性、公正さ、そして、アカウンタビリティを組み込んだシステムへとゆきつく。それが経済において意味することを考えてみるがいい(p98)。
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