人々は戦争を望んではいない
「私が1935年に生まれたときには、日中戦争が始まり、第二次世界大戦、中国の内戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争等が続きました。私の人生のほとんどで、私は、この地球上のどこかで起こっている戦争や暴力事件を目撃してきたのです」と、ダライ・ラマ法王は想起される。けれども、ダライ・ラマ法王は、全体としては、20世紀にはポジティブな変化が起きたと考える。
「第一次世界大戦中には、問題を解決する唯一の方法は力の行使にあると人々は考えていました。ですが、20世紀末には、多くの人たちが暴力にうんざりするようになり、平和のための強力な運動があったのです。以前には歴史上の敵だと互いに思っていた人々は、いま、お互いを隣人として見ています」
確かに、過去には、国家が戦線を布告すれば国民は誇りを持ってその戦争に加わったが、今は違う。長期的な歴史展望からダライ・ラマ法王は力づけられる楽観主義を展開される(p193)。
過去1万年で戦争による死因は激減してきた
なるほど事態は深刻である。けれども、ダライ・ラマ法王は、いかによりよき世界がありえるのかについて、意識を向け直し、目先のことだけに捉われず、はるか先の将来世代のことも考慮した、生きとし生けるものすべてのための行動を呼びかける。
目にする日々のニュースや記事は、戦争、殺人他、残虐な人間性を際立たせるものばかりである。こうした出来事だけに着目すれば、世界は、これまで以上に悪化しているように思える。けれども、より客観的な科学的データから見えてくるのはこれとは異なる物語で、ダライ・ラマ法王の楽観的な見解と合致する。

「巨大な帝国は戦争によって築かれましたが、パラドックスではあるのですが、こうした帝国そのものが帝国領内での平和維持のための力になったのです」と語る。暴力を抑制した方が統治するうえではたやすい。このため死因が急落したとモリス教授は指摘する。
確かに、20世紀の世界大戦では2億以上が死んだし、冷戦時代にも人類を絶滅させることができる核兵器での武装競争がなされた。今も、地球全体では各地で様々な紛争がくすぶっている。けれども、そのすべてを含めても、国連統計によれば、現在の世界中での非業による死因は0.7%にすぎない。1万年間で、非業な死を遂げる人の数は5〜10人に一人から、140人に一人へと減ったのだ。けれども、いまは史上、最も安全で危険が少ない時代といえる(p194)。
モリス教授は、これまで以上に相互につながった社会で暮らしつつ、文化的に進化することで、平和を維持する能力をそこに見出す(p195)。
長期的に見れば事態はよくなっている
1996年に、私は、幼児期からよく存じ上げていた王太后(Queen Mother,1900〜2002年)とお会いしました」と、ダライ・ラマ法王は語る。

イタリア南部の貧しい町、マテラ(Matera)は、以前は国の核廃棄物の処分場として適しているとされてきた。ダライ・ラマの友人、ノーベル賞を受賞したベティ・ウィリアムズ(Betty Williams,1943年〜)さんは、これに対して、地域経済を支援するため、町を難民の子どもたちの孤児院の地とする計画を思いついた。
ウィリアムズさんはこう語る。
「このプロジェクトは平和のための種です。私たちはこうした種を他の地域にも播く必要があります。これは、より幸せな世界を築くためのやり方の始まりなのです」(p195)
この50年で起きたことと自分が実践してきたこととの間にまったくつながりが見出せない。だから、落胆した。そうダライ・ラマ法王に語るウィリアムズさんに対して、法王は長期的な視点を取ることを薦められた(p195)。
ドイツの哲学者、量子物理学、故カール・フリードリヒ・フォン・ワイツゼッカー(Carl Friedrich von Weizsacker, 1912〜2007年)は、ダライ・ラマ法王の家庭教師だったが、彼から聴いたことを語った。
ワイツゼッカーが生きた時代には、ドイツ人とフランス人は恨み重なる敵同士であり、互いに殺しあっていた。けれども、20、30年後には、シャルル・ド・ゴール(Charles de Gaulle, 1890〜1970年)大統領は、ドイツのコンラート・アデナウアー(Konrad Adenauer, 1876〜1967年)首相と親友となっており、チームを組み、後のEU創設につながる概念を支えた。

例えば、18世紀には、世界の大半の地域では、動物、子ども、精神異常者、貧しき者、債務者、囚人、奴隷は非常な扱いを受けてきた。19世紀末には、こうした虐待は珍しいものとなり、20世紀末には、ほとんどの地域でこうした状況は嘆かわしいものと見なされるようになった。
健康、教育、格差、安全に関するデータを見ても、19世紀と20世紀で大きな進展があったことがわかる。例えば、200年前には5人に1人しか識字力がなかったが、2000年現在では、世界の5人に4人が識字力を持つ。世界の平均寿命も、この130年で、30年以下から約70年にのびた。
奴隷制度の非合法化、世界各地の深刻な災害に対する他国からの緊急援助、普遍的な教育。世界各地の知識ベースへの即アクセス。今日ではあたりまえとされていることの多くは、かつては幻想としか思えなかった、とダライ・ラマ法王は指摘する(p196)。
中国共産党による支配に抗議しているため、自ら命を犠牲にするチベット人は絶えないが、それでも、祖国チベットの未来についてダライ・ラマ法王が長期的には悲観しない理由のひとつはそのためである(p196)。
中国の共産党体制は、チベット文化や環境を破壊したのみならず、中国そのものの文化や環境も痛めつけてきた。それでも、これらを修復する日が来るときに、チベット人が提供できることは、調和し平和的に共存して生きることを含めた、その独自の文化的な展望と価値にある、とダライ・ラマ法王は言う。たとえ、中国政府がチベットを抑制していても、チベットの師の教えにしたがって、エリートや知識人を含めて、中国での4億人も仏教徒が増えていることを指摘する。ダライ・ラマ法王は、ノー天気な楽天家ではなく、現実を直視しつつ安心しないよう警告するが「それは、ポジティブなサインです」と語る(p197)。
ネガティブな情報がニュースとなるから世界は悲惨に思えてくる
ニュースでは日々ネガティブな情報が流される。けれども、こうしたニュースは日々の現実をどれだけ反映しているのであろうか。例えば、とある日になされた、親が子どもをなぜたり、困っていた誰かを助けたりといった親切な行為といじめや殺人といった残虐な行為の比率を考えてみよう(p197)。の年のいつの日であれ、親切な行為の方が残虐な行為よりも圧倒的に多い。日々、メディアから報道される冷酷で腐敗した人間の姿から、このことは想い描くことは難しいかもしれない。けれども、メディアは、世界でなされた良いことよりも悪いことに焦点をおく。間違っていることは、ニュースになるが、正しいことはニュースにはならない。その結果、世界であたりまえになされている数多くの良い行為よりも、数少ないネガティブな行為の方に私たちの認識をゆがめてしまう。「ニュースとなること」そのものが、レンズとして現実をゆがめ、親切なことと残虐なことの比率を逆転させてしまう(p199)。
エネルギーを節約するため脳は悪いこと以外は認知しない
ニュースのヘッドラインは、まさにまずいことを選びだすことを特徴とする。危険なことや修復が必要とされることに注意を払わせ、潜在的な脅威を知らせてくれる。けれども、集団レベルで、ニュースがしていることは、私たち自身のマインド内部で起きていることとパラレルである。私たち日々、入手している情報の圧倒的多数は決して認識されることはない。間違いや脅威を特徴とするごく少数の尖った問題だけが認識される。そうすれば、それに備え、解決策を見出し、状況を是正できるからである。
人生におけるそうしたぐらつき(wobbles)に気づいて、準備することが、認知の主な機能であることを認知科学は教えてくれる。逆にいえば、物事が順調に進んでいれば、脳はそれに特定の注意を払う必要はない。そこで、脳はあたりまえの馴染んだことに対してはそれをルーチンの習慣として気つかずに無視する(p198)。それによって、脳はそのエネルギー源、グルコースを節約できるからである。けれども、それは、日々の私生活における膨大な量での「良いこと」を見えなくしてしまうのである(p199)。
メディアは真実を語る必要があるし真実は深刻である
「メディアで責任がある人たちにはいつもこう話します。メディアの人たちも、ポジティブなことはあたりまえと認め、センセーショナルであったり、ネガティブなことだけに集中します。こうして、常にネガティブなことだけを耳にする人たちが、人間性は基本的にネガティブなものであって、人類の未来は悲しい運命にあるとのネガティブな見解をなぜ抱くようになるのかが目にできます。けれども、本当の分析をしてみれば、怒りの行為よりも慈悲の行為の方がはるかに多いのです」と、ダライ・ラマ法王は指摘する。
「なればこそ、メディアはもっと良いことも報道して、良いニュースと悪いニュースとの比率を変えるべきだ」と言うのではないかと、ダニエル・コールマン博士は想定していたのだが、ダライ・ラマ法王がまったく別の処方箋を提案されるたことに仰天した。
「私は、メディアの方々に、この現代という時代では、皆さんには人々に認識をもたらす特別な義務があるとお話します。皆さんは悪いニュースを報告しなければならないのです」と明確にダライ・ラマは主張される。「ですが、同時に、この悪いことを変えたり克服できる可能性、人々に対して望も示さなければならないのです。さもなければ、膨大なネガティブなリポートに人々は圧倒され混乱してしまいます」(p199)。
ダライ・ラマ法王は、1973年にイングランドのさる教授と会話したことを覚えている。彼は、金持ちと貧しい人々との巨大な富の違い、とりわけ、工業化された「北側」と「南側」の差について語った。そして、十分な資源があるかどうかを懸念していた。今日、以前には貧しかった中国、インド、ブラジルといった国々の生活水準が急速に上昇し、今世紀末には人口が100億人に達するとの予測があり、資源枯渇の問題が迫ってきている。
「ですから、『これまではこうだったから、このままでもOKであろう』というのは間違っています、と言わなければなりません。資源がますます制限される中で、人口が増え、大災害も増え、地球温暖化も進んでいます。経済や主な資源をめぐってますます多くの問題や紛争の可能性があることはまったく確実なのです。それは、西洋の力、ロシアや中国の利己心によって突き動かされています。しかも、自然災害も増えています。いま自然は、世界がさらに多くの協力を必要としていることを私たちに告げているかのようです。私たちはこのことを深刻に考えなければなりません。いまのままのライフスタイルや発想法が続けられると当然のことのように思うことは、まったく間違っているのです(p200)」。
人々を勇気づける新たな発想を
ダライ・ラマ法王は警告する。
「次の数十年はすこぶる困難な状況となります(p200)。ネガティブな面だけを告げられれば、人々は希望がないと感じます(p199)。ですから、私たちは新たなやり方で考えなければなりません」(p200)
ダライ・ラマ法王は「我々には、変わる能力がある」という物語をマスコミが示すことを提案される。いまの状況を続けることよりも、それを防ぐためにすることができることがあることを示すこと。「それは、人々を動機づけます」(p200)
ダライ・ラマ法王は、オーストラリアで、イスラエル型のドリップ灌漑を採択することで、不毛な大地が肥沃な土地に、10年間で200㎢の割合で変化していることを眼にした。
ダライ・ラマ法王は「ソーラー電力で動く淡水化のプラントを建て、新たな潅漑を加えれば、急速に荒地は緑になることができます」と提唱された。けれども、広大な砂漠を緑することに法王の想像力はとどまらなかった。オーストラリア人たちにこう話したのである。「あなた方は貧しい移民をさらに受け入れることができます」
ダライ・ラマ法王は、親しい友人、大司教デズモンド・ツツ(Desmond Tutu)から、アフリカの窮境の詳細も耳にしている。それが、貧困国を苦しめる債務を不道徳だとして、反対される理由のひとつである。アフリカ諸国や東欧経済が健全化すれば、ヨーロッパへの移民の危機も防げると法王は提唱される(p201)。
もちろん、こうしたラディカルな発想は必然的に抵抗されることを法王は理解している。新たな発想を受け入れるには、古い発想を捨てることを意味する。伝統的なヒンズー教の葬儀では、積んだ薪の上で火葬にされる事例を例にとり、これに反した友人、故ババ・アムテ(Baba Amte)の創造的な発想を誉め称える。アムテ氏は「棺なしに布で包んで遺体を埋め、そこで成長するために木を植えてほしい」との遺言によって新たな実践を始めたのである。
「肉体は最終的に土へと分解して木の養分となります。環境にダメージを与えず、火葬用の木を使わず、むしろ木を育てる。とても良いことです」。
ダライ・ラマ法王は、こうした新たな思考を賞賛する(p201)。ポジティブな変化をなんとか引き起こすことができ、新たなやり方が基準になれば、例えば、奴隷制度や児童労働が非合法化されたように、新たなやり方はあたりまえのこととなります。私の身体は20世紀に属しています。ですが、マインドは21世紀にあろうと心がけています」と、ダライ・ラマ法王は言う(p202)。
社会は個人によって変わる
ダライ・ラマ法王が心に描く、より良い世界のためのマップは、ある特定の人物や職業によってなされるものではなく、私たち全員にかかっている。法王の見解によれば、人々が必要とする変化は、システマティックであり、政府が対処できないか、対処しないレベルで起きる。家族内であれ、友人たちの間であれ、ソーシャルメディアのうえであれ、組織内であれ、あるいは、社会全体としてであれ、私たち誰しもが何らかの形でリーダーであり、誰しもが、このネットワーク上で影響力を行使できる。一人ひとりが大きなエネルギーのオーケストラの中で役割を演じ、全員が一緒になればシフトができる(p204)。
社会はどのように変わるかについて考えてみてほしい。「社会」は、私たち誰しもの集合体である。ダライ・ラマ法王の見解では、社会も政府も会社は、個人の努力から切り離されて存在してはいない。「政府には、脳がなく、口がなく、まさにオフィスと紙があるだけなのです。ですから、会社のように政府も本当はまさに個人なのです」と法王は言う。
ダライ・ラマ法王の変化の理論は、長続きするシステムの変化をもたらすうえで、統治者の力をさほど信頼せず、人々の力を重視する。トランジションは、政府の命令からでなく、より良き方向に向けて自分たち自身で、自発的に変化を始める人々からもたらされる(p205)。
社会は実践しなければ変わらない
「時には、世界の問題があまりにも大きいと感じてしまいます。ですが、いったい誰がこれらの問題を生じさせたのでしょうか?。人類は個人の集団であることから、その変化は私たち一人一人からもたらされなければなりません。私自身も70億人の人間の1人です。ですから、私には道義的責任と貢献する機会があります。そして、それは、より建設的で破壊的な感情がより少ないというメンタルなレベルで始まり、友人たちとわかちあうことができます。変化はこうして広がっていきます。最終的には、各人が責任を持ちます。これがこの変化をもたらす唯一の方法です」
とはいえ、ダライ・ラマ法王は、ただ以前よりも公正でより平和な世界を心に描いて望むだけでは、これは起こらないことを強調する。
「変化は、人々が行動をしてこそ起こるのです。希望的観測だけでは十分ではありません。もしも、私たちが何もできないと考えるならば、何も起こりません。世界はまさにいまと同じままです(p205)。もし、社会全体がまさに『私、私、私』について話すならば、私たちはリーダーを非難することができません。そして、我々がより慈悲的になるように要求する全体主義のリーダーには依存することができません。それは偽善です。不可能、不可能です」
「こうしたすべての変化は、本当のその価値を理解した人々によって、自発的にもたらされなければなりません」とダライ・ラマは言う。
「個人はとても重要です。ですが、本当の影響は大衆運動からもたらされます。たった一人では世界を変えることはできません。イエス・キリストはそれを試みて、完全に成功できませんでした。いまは民主主義の時代であるため、人々の声、集団の声によって違いは生じます」(p206)
カイロのスラムに職業訓練校を開く
カイロの巨大なスラム、Ain El-Siraでは、約3万人が暮らす。ほとんどが間に合わせの仮住居で、合板を寄せ集めて作った木枠のような1部屋や2部屋に一家族が住んでいる。そして、住民たちは、低賃金で危険であっても、仕事を見つけようと精を出す。圧倒的多数は読み書きできない。さらに、住民たちの約半分は深刻な健康問題を抱えている。
こうした悲惨なデータは、世界のどの都市でも貧困地域から収集できる。けれども、こうした研究が、カイロ・アメリカン大学(American University in Cairo)の一人の学生、サマル・ソルタン(Samar Soltan)さんの関心をひいた。彼女は、貧困地域の住民の3分の2は市場に適したスキルを手にしていない事実に気づいた。そこで、仕事を見つけても、生活賃金を得られないことが多かったのである(p202)。
ソルタンさんは、もう一人の学生、バサマ・ハッサン(Bassma Hassan)とチームを組み、スラムの女性たちのための職業訓練施設を立ち上げた。そして、Tシャツを縫うといった基本的なスキルでの働き方と同時に、エジプトの政治的な雰囲気では入手困難な基本的な労働権の知識も教えた。
二人の女学生は、カイロ・アメリカン大学からダライ・ラマ・フェローズ(Dalai Lama Fellows)の倫理リーダーシップのプログラムに選ばれ、このプロジェクトのため、5000ドルを補助金を獲得した(p203)。
ケニアでアグロエコロジーを試みる
テトス・チルチル(Titus K. Chirchir)氏は、ケニヤのリフト・バレーの小さな村の自給農民の家に9人の子どもの1人として生まれた。村で暮らす17年間、Tiboiywoでは人口爆発によって、多くの人々が失業した土地なしの村民となり、自暴自棄で、新たな農地を切り開くため、近隣の森林を伐採し、川が枯れ周囲の緑が茶色になるのをテトスは、見てきた。
短期的な利益を追った長期的な結果は、森林が伐採されることで、大地が乾燥化し生物種が損失し、農業収量が低下することだった。そして、これに対する政府の対応策は、人々を追いたてることであった。追いたてられた農民たちは、怒り、報復として森に放火した(p203)。
テトスは、その出身にもかかわらず、なんとかアマースト・カレッジ(Amherst College)に進学でき、Tiboiywoにダライ・ラマ・フェロー(Dalai Lama Fellow)として戻った。テトスは、農民たちに農産物とともに植林するアグロフォレストリーのやり方を教えた。樹木が十分な高さまで育てば、森林再生用に、広く農民たちに配布される。
テトス氏は、アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein)のフレーズ「世界は生きるためには危険な場所である。それは、人々が凶悪だからではなく、それに対して何もしない人々がいるためにである」を好んで引用する。氏はそこからインスピレーションを得た(p204)。
ダライ・ラマ法王は、このプロジェクトに自分の名を与えているが、こうした若いリーダーたちが、アフリカ、アラブや他の世界の貧しい人々が抱える問題解決のために努力することを望んでいる。そして、ただ慈悲を感じることから実践するよう訴えている。そして、彼らはそうしているのである
より良き世界のために種子を播く〜自分の世代で成果を求めるのは利己的
ダライ・ラマ法王の世界展望は、私たちが今、知るものとはラディカルに異なり、不可能なまでに理想主義的に思える(p203)。とはいえ、全力を尽くしてみたとしても結果が見えなければ打ちのめされるのではないか、とダニエル・コールマン博士は聴いてみた。そして、ダライ・ラマ法王からの回答は、博士からすれば想定外のものだった。
「それは利己的です。その態度はまさしく慈悲の不足を意味します。私たちは長期的な視野で考えなければなりません。私の世代ではなく次世代の見解で行動する必要があります。おそらく20年、あるいは30年たってから、より良い社会を手にし始めることでしょう」
社会を変えるには2、3世代が必要だと、ダライ・ラマ法王は言う(p206)。
たとえ果実を目にできないとしても、より良き世界のためには種子を植えなければならないというのがダライ・ラマ法王の見解なのである。そこで、地球環境の危機について市民啓発に努めることの難しさに環境科学者や活動家が落胆していると、法王はこうアドバイスされた。
「時には、皆様方は人々が重要な何かを始めて一生懸命に働くのを目にします。ですが、すぐに実現しなければ、人々は関心を失います。大きな重要な目標ほどすぐに達成することはほとんど不可能です。
シフトは段階的である。
「けれども、誰かが始めなければなりません。私たちは人類について語っています。そして、時代とともに人類は変わることができるのです。たとえ、生きているうちに結果が実現しないとしても、私たちの世代はこうした重要な努力を始めなければなりません。それで良いのです。たとえ、今はそれが夢にすぎないとしても、より良き世界を形づくり始めることは私たちの責任です。そして、教育を通して、認識を通して、より若い世代をインスパイアしなければなりません」(p207)。
「この世代には世界を再構築する義務があります。そして、私たちには数世紀先を考える能力があります。努力をすれば、達成可能であることがあれば、たとえ現在では絶望的に思えたとしても、決してあきらめないでください。熱意と喜びをもってポジティブなビジョンを提供してください。私は、結果を目にすることを期待してはいません。20年、30年、あるいはもっとかかるかもしれません。私は20代の学生たちに対しては『皆さんは結果を目にできるまで生きてはいないだろう』と語ります。ですが、たとえ努力の果実を決して眼にできないとしても、私たち誰もがいま行動しなければならないのです。今日の子どもたち、そして、彼らの子どもたちのため、私たちの世界を残してはならないのです」(p208)
【画像】
イアン・モリス教授の画像はこのサイトより
王太后ことエリザベス・アンジェラ・マーガレット・ボーズ=ライアン(Elizabeth Angela Marguerite Bowes-Lyon)の画像はこのサイトより
ベティ・ウィリアムズさんの画像はこのサイトより